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死亡は終着駅ではない、如何に人生を送ればよいか

来週は念死無常(無常不定、死がいつでも降り立つと考える訓練)をテーマとした試験ですから、法師は試験前に同学の皆さんを隣の霊園に連れて行って様子をみようかと提案しましたので、それに先立って今日は霊園を事前訪問することにしました.

法師:事前にその霊園に行って見ましょうか.入れるかどうか確認します.

私:法師、近頃、無常不定の道理をしみじみ考えて大きな衝撃を受けましたよ.

法師:無常の道理を毎日念頭において生きなさい.世間(世俗世界)と違うのは、世間の人は死を考えるだけで恐れずにいられませんが、僧人としての私たちは死のために準備していくのです.今日死ぬならば、何を持って来世に向かいますか.頼るべきものが十分ありましょうか.そう思って、この一日一日の修行を積み、精進に励むようにすれば元気が出ると思いますが、あなたはどうです.

私:お医者さんに行った日、「修行者は病いに掛かっても心配したり、怖がったりしない」って法師に言われました.病気は修行を助ける増上縁、逆増上縁になるのですね.

法師:はい、確かに.死は過程に過ぎず、終わりではありません.死亡を終着駅と見るのは大間違いです.

私:もう一点、心得がありますよ.浄人の甲に考えさせられたことです.一人一人の根性が違いますが、バスケットボールをやると誰でも健康を保てるのと同じように、仏陀の説法を聞いて、弟子たちはそれぞれの果位を取ったのです.最初はただ他人の問題だと思いましたが、後になって自分も同じ問題を抱えているのじゃないかということに気づかされました.仏様や菩薩を単に木の塊り扱いするのは、仏様や菩薩に対して信心がないことの現われです.

法師:やっぱり今回の外出は重要ですよね.

私:スーッと楽になりました.

法師:煩悩に押しつぶされましたね.

私:これは問題です.煩悩が解決されずに、この煩悩に付きまとわれていたら、煩悩がますます激しくなっていきます.(この問題を解決されずに、心がよく悩まされ、煩悩がどんどん積み重ねられます.)

車から降りて、霊園に入ろうとすると、入り口で守衛さんに止められました.

守備さん:何かご用ですか.

法師:中をちょっと見てみたいのですが.

守備さん:これといった用事がなければ中に入ることはできません.

法師:私たち仏教徒にとって生死は非常に大事なことですから、死の状態を見たいわけです.どうか入らせてください.

守備さん:特に用事がなければ中に入れません.

法師:そうですか.お邪魔しました.

しばらく歩いてから、私は法師に言いました.「特に用事がなければ通せないと、私たちに提示していましたね.」

法師:私たちは中を見たいだけで、特に用事があるわけではありませんから、適当なこと(方便妄語)を言って中に入ろうとはいけないですよ.守衛さんの立場から言えば当たり前のことをやっただけです.仏牙舎利を奉安したその時、師匠の言い付けでブログコメント集の本をお客様がお泊りのホテルの部屋に送りましたが、その中の一部屋が届けるべき部屋であるかどうか確認できませんでした.当直の従業員を呼んでドアを開いていただくよう願いましたが、

「申し訳ないですが、確認できないのでしたら、ドアを開いてさしあげられません.」 

と断られました.その従業員は正しいことをやりました.自分の責任をちゃんと果たしたのですから.

そして、隣にある「佛山」と名づけられた霊園に行きました.その霊園は仏教とのご縁があって、中に入ると弥勒菩薩が迎えてくださいました.二人は合掌問訊(合掌しながら身体を曲げて低頭する礼儀)して霊園に入りました.最初は穏やかな心境でしたが、霊園に身を置くと、私は急に緊張し、息遣いも激しくなりました.恐怖に包まれてしまった自分を知らされました.一基一基のお墓を見ているうちに、声が詰まってしまいました.死に直面する私には、まだ心の準備できていませんでした.

法師:お寺のそばにお墓が安置されているなんて徳分があるからなのですね.

恐怖に包まれている私を見て、法師はさらに言いました.

「世間の人はこの霊園に来て、何も持って帰りたくないと思うでしょうが、私たちは普通の人と違って、死者が目の前にいるのを観想します.死んだ人が出家者を見ることも、できます.これらはすべて不思議な因縁がもたらしたものでしょう.この因縁を手がかりとして生死から解脱するのです.」

私:お墓がいっぱいありますよね.法師、人が死んだ後、49日間に結生(仏教の教えによって、中有の状態が終わってまた生有に生まれ変ることを結生という)しますよね.

法師:はい、必ず結生します.突然死んだ人は、自分が死んだことを意識していません.

自分がまだ生きていると思っていましたが、体が寝たきりで動けないのにきづいて初めて自分の死を知らされるのです.

私:中陰(中有)に生まれ変わった時から、結生ルールに従って来世に生まれ変わります.死んだ人は全部結生しますか.

法師:はい、そうですね.7日ごとに形を変えながら、49日後必ず結生します.地獄に落ちるべき人はすぐ報いを受けます.

私:この中にはたくさんの餓鬼道の衆生が綺麗なお墓に執着したのかもしれませんね.

法師の後をついて前に進むと、心が次第に落ち着いてきました.歩いているうちに、蓋の開けられたお墓が目にとまって、法師について近づきました.「ここは骨壺を置く場所でしょうね」と思い、くらぐらとした小さな洞穴を見ているうちに、落語家の趙本山さんの有名なせりふをひょいと思い出しました.

「人間は世を享受できる日々はせいぜい36000日だ.家がいくら大きくても仮の住まいにすぎない.しかし、その小箱こそが永遠の家なのだ.」

どのように自分の人生を送ればいいか、というのは長きに亘って考えなければならない課題です.

私:法師、将来、ここに私のお墓が増えるかもしれないと思いませんか.

法師:それは重要でありません.肝心なのは如何に自分の生命に向うかということです.

そうですね.どのようにしたら価値のある人生が送れるかですね.山一面のお墓を見ていると、お墓の一基一基がその人の人生の句点になっているのではありませんか.この一生、自分の人生をどのように送りますか.

私:「犬の大便」という物語を思い出しました.何のために生きているか、みんなのために何ができるか、という法師の質問が同学を考えさせました.その時涙が溢れるほど感動しましたが、今は違った感じです.

法師:この世で、五欲八風ばかり追い求めていては、死んだらお墓以外に何も残りません.時には懐かしむ感情を持つ家族がお墓参りに来るでしょうが、死者はもはや三途六道に生まれ変わっています.

私:この小さなお墓にこだわって、死んだ人は、餓鬼道に堕ちってしまう場合もあるんですね.

法師についてさらに前に進むと、すでに恐怖の感情から解き放されました.その霊園は本当に広いのです!何人の人がぶらぶら歩く二人の出家者を足を止めてみていたか分かりません.

再び入り口に戻ると、

「あのう、朝夕のお勤めで蒙山施食をやっていますが、その亡霊は本当にそろってくるのでしょうか.」と訊きました.

法師: ありえることですね.餓鬼の目にはお寺が光って見えますから.

霊園を出て、「今回お寺に帰ると、きっとたくさんの衆生がついてくると思います.修行の成就が期待されますから、もっと修行に励みましょう.」と法師が言いました. 

お寺に帰りました.

私:法師、やはりお寺の空気はおいしいですね.さすが道場ですね.」楽しげに私は言いました.お寺に帰って気持ちいいですね.

法師:実はどこでも一緒ですよ.心が違うだけなんですよ.

また法師に夢の中から目ざまされたような気がしました.そうですね.もうこれ以上眠っていてはいけないのです.私の前を去った人、ついてくる人、そしてこれは自分の命に対しても、修行の道に一種の楽しみ、頼りでもあるのです.