和諧世界・衆縁和合

則竹秀南

尊敬する葉小文中国国家宗教事務局長閣下、一誠中国佛教協会会長猊下、並びに関係役職諸長老の皆様方、第二回世界佛教フォーラムの開会式を今日迎えられ、誠に慶賀に存じ上げます。私は、この盛大にして内容のあるフォーラムに御招待を受け、第一回に参加した時と同様に感動しております。私は今、この会場で世界各国の佛教徒の皆様とお会い出来ました。考えてみれば出会いは「実に不思議」なものです。これを佛縁と云うのでしょう。そして互いに微笑して、挨拶をし、人と人と関係を深め和合しあうところ、この場を持ったことに最高の幸福を感じております。この今の現実を和諧世界、衆縁和合と云うのです。

扨、涅槃経に次の様なお言葉があります。

「佛性の義を観ぜんと欲すれば、当に時節因縁を観ずべし。時節すでに到れば佛性現前す。」佛性の義を観ずるとは自己の本心に目覚めることであり、本心に目覚めるには時節因縁をよく観なさいとのことです。時節因縁とはいろいろな因果関係や条件が揃い熟することです。例えば私が今存在するのは、祖先や両親があってこの世に生まれ、生後周囲の環境や保護によって育ち、自分の努力の積み重ねによってあるのです。つまり諸々の因縁が相互に支え、関係しあって現実があるのです。そして、そのものの持ち味が全て発揮されたことであり、 花ならば満花、食べものならば旬(しゅん)、稲ならば実りです。釈尊の悟りは、この縁起の法であ り、すべてのものは縁によって生じ、縁によって滅し、従ってそのものの実体はないという諸行無常、諸法無我の道理です。

この世の中を和諧世界にしようとするならば、この縁起の法に目覚めて無我の精神で、互いに和合しあうことです。相手を敬い、相手のすばらしさ、尊さを認めあうことです。これが縁起の法です。縁によるという言葉は「とらわれのない」ことであります。生に老に病に死にとらわれない。損得に是非にとらわれないことです。ところが私達は自我にとらわれて、自分の都合の良い方にと事を進め、相手のことに目を向けません。従って損得が生じ、爭いが生じ、社会が混乱し、人間の不満はつのります。又資源を乱用し、自然を破壊し、水源を汚染し環境問題を起こし、人類は滅亡の道を歩んでいます。そこで改めて和諧社会、衆縁和合の理念に立ち返る必要性があります。

今世紀の重要な課題の一つは、人間にとって一番大切な水の問題です。水資源、水汚染の問題が人類の生存を左右するのです。この観点より今回、世界各国より水を持参し合い、それを洒水して十方に供養し、水の有難さに感謝する儀式を催されることは大変意義があります。私は昔より山紫水明の地、「京都の花園」妙心寺開山無相大師御存命中よりの水脈からの井戸水を持参しました。今年無相大師の六百五十年遠諱法要が嚴修され、この記念すべき年に当り、水の重要さ特性を考え感謝することは意義があります。

ところで、私は衆縁和合の精神が、そのまま水の働きであると思います。水はよく佛心と比較されます。水が暖かい様に佛心も暖かい心であり、人の心をなごませます。水がさらさらと流れるが如く、佛心もとらわれることなく一念一念跡をとどめない。水が縁に従って乾燥した大地にしみわたってゆく如く、佛心も縁に従って人々の心の中にしみわたって、人間相互の和(なご)やかさ保ちます。水が草木を養うが如く、佛心も人々を養い思いやりの心で、他人を助け、支援してゆきます。

この様に水の如き、私達の佛心の真実の働きは縁に従って何物にもとらわれず、暖かく全てのものを包容する大きな心であり、これが和平な世界を造り出し、衆縁和合の実現になってゆくのです。

釈尊が八十才で涅槃に入られる時、お弟子達に残された遺言の一つです。

「汝等、この教えのもとに相和し、相敬し、争いを起してはならない。水と乳とのように和合せよ。」これは般(はつ)沱(ない)洹(おん)経(きょう)にありますが、この御言葉を最後に私のスピーチを終ります。

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