仏教と中国文化

頼永海

南京大学人文社会科学教授

中華文化研究院院長

歴史上いわゆる東方二大文明とは、釈迦が創立した仏教と孔子が創設した儒学となります。一帯一路(シルクルート)を通して東漢と西漢の時、やっと繋がることができました。結果としては、まさに習近平主席がユネスコ(【国連教育科学文化機構)で講演したように“仏教は古代インドに源を発し、中国に転入した後、長期進化を経ち、仏教は中国儒教文化、道教文化と融合発展して、最終的に中国特色のある仏教文化を形成しました。これは中国人の宗教振興、哲学観念、文学芸術、礼儀習俗などに深遠な影響を与えた。”

それでは、印度仏教はなぜ中国に定着し、繁盛になったのでしょうか。それに、どんな成果を上げたのでしょうか。仏教は中国に転入した後、仏教自身の発展、中国古代の思想文化にはどんな影響を与えたのでしょうか。これらの問題は全部我々が掘り下げて研究に値する重要問題です。

仏教は中国で重要な位置を占めした最も根本的な理由の一つとしては、中国化の道を歩んだからです。学理的な面からすれば、仏教の中国化との特徴は、仏教の基本精神を堅持することを前提にして、儒家、道家の思想をたくさん吸収し、外来の仏教を中国特定な社会歴史条件と思想文化背景に相応し、且つ中国化された仏教にしました。その典型的な代表は禅宗となります。

ある意味で、禅宗(特に慧能南宗)は仏教の中国化から中国化仏教への華麗なる変身を成し遂げました。そのキーポイントは“六祖革命”になります。

“六祖革命”の核心内容としては3つあります。その一つ目は「心は即ち佛である」との仏性理論で、二つ目は「道が心の悟りである」、三つ目は「世間が解脱である」との解脱論です。三者とも後ろに儒学の影があります。要するに、慧能南宗思想の一番著しい特徴は仏陀の本懐を基礎とすることを堅持し、儒家と道家の思想を大量的に吸収し、融合しています。そして、この吸収融合は水と乳がよく溶け合うように、どんな思想は印度から転入したか、どんな思想は中国で生じたか分別できないほどよくできています。実際、この融合は契理かつ契機的な創造性のある発展で、中国仏教が中国伝統的な文化に不可欠な組成部分であり、我々今直面した西洋文化を含んだ外来文化をどのように吸収し、融合するかとの問題に有益な参考にもなります。

文化の広めは単向ではなく、双方による交流と鑑みに示されます。相互融合の元に、自己発展して、相手を豊富させています。例えば、印度仏教は中国に転入した後、中国の伝統文化の影響を受け、中国化の道を進む一方、中国化された仏教は中国本土の学術文化にも非常に深遠な影響を与えました。

宋、明時代の理学を例にすれば、宋明理学は“新儒学”とも呼ばれていますが、“宋明理学”の“新”はどの方面に表されているのでしょう。先哲賢者はこれに対して“表は儒学で中味は仏教”とのコメントがありました。朱熹が陸学のことを“全部禅学である”と非難しました。

ここで言及した“表は儒学で中味は仏教”は、宋明新儒学はほとんど儒家について議論していることを指しています。例えば、人倫道徳、身を修め,家を整え,国を治め,天下を平らかにするなど。しかし、宋明新儒学が頼りとした思惟方式は隋唐仏学の構築した心性本体との思惟方式です。

また、仏教が道教に与えた影響を顧みると、伝統的な道教は“貴生重命"、“仙化最高”を重んじていたが、仏教の“中観”との思惟方式に影響され、隋唐に至って、“重玄学派”の成玄英、王玄览などが“双遣二边”、“境智両忘”、“非有非無”、“ 而有而無”を多いに議論していました。その観点は“中観”の“离四句、绝百非”と同じ筋になっています。

北宋後期に、「全真道」は仏教の教義と修行方法をさらに吸収して融合しました。「全真道」は伝統的な道教とはかなり違い、符籙齋醮や丹薬より心の反省や自身の内修の方を強調します。しかも、禅宗直指人心、明心見性を強調することを「達本明性の道」の「最上法門」としました。

禅宗は中国古代文化の頂点とされる詩、本や絵などにも広くて、深い影響を及ぼしました。清朝詩人沈曾植は中国詩歌史上に影響力を持つ南北朝時代の山水詩につき、「道林は山水詩の道を開き、康楽は山水老庄の大成を達っする」と評価されました。この中で言及した康楽や道林はいずれも仏教徒です。

唐詩三大家と称される李白、杜甫、白居易も禅宗の影響を受けました。

李白は「樹の下に燕座し、大千世界は心身に入る」と書かれました;

杜甫は「身を許す、双峯寺、門は求む、七祖禅。」と詠唱されました;

白居易は早期に仏教や道教を信じていなかったですが、官職を下げられた後、仕官の辛さが分かって、山水詩に感情を寄せ、日常のささやかな喜びを掲げ、それに丹薬を作って飲み、道教も崇め信じ、後になって仏に帰依しました。白居易は、「早年には身世を以て、直に逍遙の篇に付く。近歳には心地を將て、迴て南宗禪に向かふ。」、自分に「香山居士」と号を付けました。

禅宗思想に影響されたもう1人の代表者は唐朝時代の詩人王維です。

王維、号は「摩詰」。詩は主に空山日色、青松翠竹、鳴き鳥落ち花や流水種声を描くもので、円満自由や安静調和な真如境界を示します。この詩の特徴は文字、議論や才学などを素材にしなく、「本質直視、不立文字」を宗旨にして、意味深く洗練し、その神韻と超然を表現しますが、また平淡で自然な表現を持ち、人の心に染み渡るというものです。悟りがなくては、花落ち後残る香りや水面に映す月の美しさを味わうことはできないであろう。詩論家厳羽が『滄浪詩話』で言った通りに、「ひとえに悟りによる」は王維の詩の最大な特色です。「悟りあってこそ、「当行」であり、「本色」である。」

詩と禅宗の関係について、元好問は見事な見解を述べました。「詩は禅宗の花錦で、禅宗は詩の宝刃である(詩は禅宗と融合して、詩禅一味となる)」という名句があります。即ち、禅宗が重視する悟りの方法も詩の道具と魂です。

中国の歴代の書画も禅宗と切っても切れない縁を結びました。「書聖」である王羲之、狂草が得意する懐素、宋の四大家に数えられる蘇東坡と黄庭堅なども仏教と緊密な関係を持っています。

それに、書道は仏教の「戒学、定学、慧学」のような修行方法に結びつきます。「戒学」は身口意の三悪をとめ善を修すること;「定学」は心の散乱を防ぎ安静にすること;「慧学」は知恵を窮めること。その三学は書道に相通じると思っております。

蔡ヨウが「書くとき、座り静かに思い、言葉を口に出ず、呼吸を緩め、身口意をとめ、書法を尊重すれば、書法得意になれる」と結論を下した;王羲之は「書きたいなら、静かに思いを凝らし、字のイメージを思い浮かび、意前筆後となる」と考えられました;柳公権が「心正ければ筆正し」と述べました。これらの議論は仏教禅宗の主旨と合っています。

沈灝は『画塵』には、中国歴史上の画家及び中国絵画が禅との関係を巡り、こういった論を書きました。「禅に南北二宗があるのと同様、絵画にも南北に宗があり、分かれる時期も同じです。南宗には、王摩詰から始まり、荆浩、关仝、巨然、董其昌などは慧炬が絶えないです;北宗には、李思訓、趙乾、馬遠、戴文進、呉小仙などは狐禅一類です。」

ある絵画は宋代の絵画について、「宋代にて仏教は絵画にもう一つの貢献は、禅の心物合一境界と空霊境界で、画家を写実迫真のほか、悟りも理解させ、すなわち「ゆるに象外をもってし」という理念を掲げる。」「画家というと、唐代画家は方法が好きで、宋代の画家は理を好む。理は、禅の理で、画家が言う気韻である。」と評価したことがあります。

とにかく、仏教と中国との交流や鑑み合いは「人を成長させ、自分も進化する」との関係だとと言えます。仏教は中国本土文化と溶け合っている中で、自身を発展させ、中国文化も豊かにさせました。そして、その中国化された仏教は中国伝統文化の重要な構成部分となりました。それによって、中国の仏教が分からなければ、中国の伝統文化を全面的に理解と把握しがたいと思っております。

 

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