日中国交正常化の実現

戦後の日本にとって、政治、外交上、最大課題の一つであった「日中国交正常化」が、ようやく、実現するに至った。一九七三年九月二十九日午前十時(日本時間同十一時)、人民大会堂で、日中双方の首相によって、「日中共同声明」が調印され、約半世紀にわたって続いた日中間の「戦争状態」が終結、新しい時代を迎えたのである。

長い道のりであった。戦後の日中間には、さまざまな困難や障害が横たわり、国交正常化にはほど遠く、不透明な時期が、しばらく続いた。

この閉塞した状況に風穴をあけ、ひとすじの明るい道を切り開いていったのは、日中両国仏教者のたゆまない努力に負うところが、少なくなかった。

趙朴初副会長も祝宴に出席

日中両国民が「国交正常化」交渉でわきたつ中、人民大会堂では、周恩来総理主催による田中角栄首相歓迎宴と田中首相主催による答礼宴が、盛大に開かれた。この両宴に、中国政府要人、各界代表のひとりとして、趙朴初中国仏教協会副会長が招かれて出席したことが、人民日報や北京週報などで報道れれた。文化大革命の勃発以来、その消息が絶えていた趙朴初師の健在が。これによって、明らかになったことは、日本でも、大きな朗報として伝えられた。(「中外日報」一九七二年十月十五日)

心境を漢詩に託す

戦後の日中仏教交流の促進に、一方ならぬ情熱を注ぎ、献身的な努力を続けてきた趙朴初師は、この「日中国交正常化」を、どのように受けとめ、どのように評価されたのだろうか、宴会の席上、趙朴初師は、その感懐を率直に、詩によって表している。以下の通りである。

相見歓 <相まみえる歓び」

-周総理歓迎田中首相宴会上作

趙朴初

廿年填海深功、              (廿年、海の深きを填めるの功)

憶群朋、               (群朋を憶う)

赢得今朝歓宴一堂同。     (贏ち得たり、今朝の歓宴、堂に同じくするを)

兄与弟、                       (兄と弟と)

千秋意、                       (千秋の意)

万年紅。                       (万年の紅)

待賞春光華雨又和風       (待に賞でん、春光に華雨ふり、また、和風のふけるを)

一九七二年九月 (诗集「片石集」人民文学出版社)

この詩の大意は次のように解せられる

いま、わたしは、この宴席で二十年前のことを思い出している。一九五二年十月、北京で開かれたアジア·大平洋地域平和会議で、中国仏教協会から、日本仏教界へ平和と友好のしるしとして、仏像が贈られた。これが機縁となり、戦後初めて、両国仏教界の交流が始まったのである。

しかし、日中仏教交流の道は、決して平坦ではなかった この二十年間、深い海を埋めるような途方もない困難や障害に出合いながらも、わたしたちは、それにめげず、たゆまぬ努力を続けてきた結果、今日の、このすばらしい成果を得ることができたのである

それにつけても、日中間が、きびしい状態にあった、あの時期に、両国の友好とや平和をめざして、さまざまな障害を乗り越え努力された多くの先覚、友人たちの労苦は、決して忘れることができない。

今、日本と中国の代表が、この人民大会堂に相集い、席を同じくして、国交正常化のお祝いと喜びにひたっている。この成果と喜びは、わたしたちの長年にわたる汗と努力によって、かち得たものである。

日中両国の兄弟たちは長年にわたり、平和と友好を実現したいという切なる願いを心に抱き、求め統けてきた。

いま、わたしたちが得たこの平和と友好の喜びは、子々係々に至るまで、永遠に受け継き、守っていかなければならないものである。

中国で降る雨、日本で吹く風、この両国の風雨もおさまり、いま、春のうららかな光が両国の前途に、そそいていることを、心からお祝いしたいと思う。

趙朴初師は、宴会終了後、直ちに、この詩を大谷瑩潤師(日中友好宗教者懇話会名誉会長)に、手紙を添えて送っている。

長年にわたり、労苦を共にした日本の友人たちと、この喜びを、分かち合わずにはいられなかったものとみられる。

この「日中国交正常化」によって、両国の政治、経済はもとより、両国仏教界の交流は、さらに、大きな発展をみることになる。

『日中仏教交流 戦後五十年史』より

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