日中友好仏教協会が設立される

文化大革命によって中断された日中仏教交流は、一九七三年五月に再開され、宗懇(日中友好宗教者懇話会)訪中団が七年ぶりに中国を訪問、友好の絆を再確認したことはすでに述べた通りである。

関西地区にも日中仏教交流の窓口を

当時、宗懇は日中仏教交流の唯一の窓口になっていたが、今後の仏教交流の拡大を図るためには、各宗派の本山の多い関西地区に、もう一つの窓口を設けることも考えられた。

同年六月、再開第一回の中国訪問を終えた宗懇では、菅原恵慶副会長を中心に新しい窓口(会)の設置を進めることにした。そのためには、まず各宗本山の理解や協力を得ることが必要であった。

菅原師、署名簿片手に各宗本山を回る

同年八月、菅原師は、日中仏教交流に理解をもち、趙朴初中国仏教協会副会長(当時)と面識のある大西良慶師(清水寺貫主)を訪ね、会設立の趣旨を説明、「呼びかけ人」としての承諾と署名を得た。そのあと署名簿を片手に、東大寺狭川明俊、唐招提寺森本孝順、延暦寺中山玄雄、六角堂池坊専永、嵯峨清涼寺塚本善隆の諸師を訪ね、同じょうに、「呼びかけ人」としての承諾と署名を集めた。

会を組織し、運営するには中核となるリーダーが必要である。菅原師は、同じ真宗大谷派で、中国仏教に造詣の深い道端良秀師(当時、東本願寺伏見別院輪番)を訪ね、「日中仏教交流をさらに促進するため、関西地区にも窓口が必要だ。会の設立に奔走していただきたい」と説得した。

道端師は、菅原師の熱意に動かされ、その趣旨に賛同した。そして菅原師のあとを継いで、東西両本願寺、知恩院などを訪ね、門主や宗務総長の承諾や署名を得るなど、積極的に活動を始めたのである。

禅宗や真言宗の管長級の署名は、東福寺の杉井栄一師、西山や聖護院は、養福寺の五十嵐隆明師に依頼するなど、それぞれ分担して各宗派の管長、門主の賛回と署名を集め、着々、準備を進めた。

菅原師が各宗派に働きかけを始めてからちょうど一年後、一九七四年九月、各本山代表三十五人が東本願寺枳殻邸に参集。初の設立準備委員会が開かれ、道端師は設立準備委員長に推された。以後、数回にわたり会合を重ね、設立趣意書、会則などを検討。会の名称は「日中友好仏教協会」とすることにした。

西本願寺門徒会館で結成式

結成式は十月二十日午前十一時、西本願寺門徒会館で、各宗派の管長、門跡、宗務総長、仏教系大学教授など約百五十人が出席して行われた。来賓として東京から大河内隆弘宗懇会長、菅原恵慶同副会長、宮崎世民日中友好協会(正統本部)理事長らが出席した。

式は、勝村哲地仏教大学助教授の司会で進められ、まず総礼と三帰依文唱和のあと、松本大園北法相宗宗務長が、会結成に至るまでの経過を報告。続いて道端良秀師が、会設立準備委員長として次のように挨拶した。

「本日、ここに仏教徒相集い、日中友好仏教協会を結成いたしました。私たちは仏教精神にもとづき、先輩の歩んだ道をしっかり踏み固め、日中両国国民の子々孫々にいたる友好増進のため、努力精進するものであります」

「日中間の心のかけ橋に」と大河内宗懇会長

このあと来賓を代表して、大河内宗懇会長が次のようにお祝いのことばを述べた。

「日中友好仏教協会の発足を心からお祝い申し上げます。一昨年九月、日中国交正常化に伴う『共同声明』が調印されましたが、私どもは仏教精神のもと、日中間の心のかけ橋になることが大切であります。その意味におきまして、当会の設立はまことに時宜にかなったものであり、今後、大いに発展されますよう心から祈念いたします」

続いて、趙朴初中国仏教協会責任者などからの祝電が披露された。

この中日友好仏教協会はその後、日中仏教交流に大きな役割を果たすことになる。

『日中仏教交流 戦後五十年史』より

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