日中友好仏教協会から初の訪中団

日中友好仏教協会(道端良秀理事長、松本大圓事務局長)は、一九七四年十月の発足以来、組織の拡充につとめてきたが、翌年三月には機関誌『日中仏教』を発刊、十月の会発足一周年には、会員二百人が出席して記念式典、記念講演会を開催した。

一方、会発足後、中国への友好訪問団の派遣を請願し、中国仏教協会と交渉を進めてきたが、一九七六年二月、趙朴初中国仏教協会責任者から道端理事長にあて、中国訪問を歓迎する旨の招待状が届いた。

訪中の使命は戦争への反省と懺悔の実践行

会では早速、役員会を開いて協議した結果、訪中団の人選は、各宗派代表と仏教系大学代表によって編成すること、訪中の主眼はさきの日中戦争に対する日本仏教徒としての反省と懺悔の実践行であること、日程は五月十七日から二週間程度とすることなどを申し合わせた。こうして発足一年七ヶ月後、日中友好仏教協会の初めての中国訪問が実現する運びとなった。

訪中団は、五月十七日午前十一時、大阪空港を出発。午後三時半、北京空港に到着した。空港には、趙朴初中国仏教協会責任者、王芸生中日友好協会副会長ら要人三十人が出迎えた。

広済寺で中国人殉難者の慰霊法興

翌十八日午前九時、広済寺を訪問。趙朴初師、広済寺住職·明賞法師らの案内で大雄殿に参拝した。ここで一行は、戦時中、日本に強制連行され、犠牲になった中国人物難者に対する追悼の慰霊法要を行った。道端団長を導師に般若心経を読論。日中戦争に対する日本仏教徒としての反省と懺悔をこめた表白文を奏上、諸精霊の冥福を祈った。

このあと諸堂を巡拝。客殿で趙朴初師、明真法師らと懇談した。席上、中国仏教協会から日中友好仏教協会に、金箔の釈迦牟尼像、房山石経拓本が贈呈された。なおそのほか日本側の要望にこたえて、影印北京版チベット大蔵経の写真原版も贈られた。

午後、故宮博物院を参観。夕刻、北京飯店で歓迎宴が開かれ、趙朴初師は次のようにあいさつした。

「このたび日中友好仏教協会の成立後、初めての友好使節団が来訪されましたことを心から歓迎いたします。しかも日本の各宗派及び仏教系大学の代表が、たもとを連ねてご来訪されたことを嬉しく思い、光栄に存じます。

中日両国の仏教は、同じ菩提樹から成長した連枝の間柄であります。今回の皆さまのご来訪が、兄弟のような両国のつながりをさらに深め、強固なものに発展されますよう期待いたします」

これに対し、道端団長は「このたび私どもの貴団訪問に際し、格別のご配慮を賜わり、心から感謝申し上げます」と、丁重に謝意を表明。

このあと「私たちは常に殺生戒をとなえる仏教徒として、さきの日中間の痛ましい戦争を阻止できなかったことを、心から懺悔しております。ここに改めて、中国の皆さまに深く罪を謝するものであります。そして今後は、皆さまとしっかり手を結び、平和友好のために努力、精進する所存であります」とあいさつした。

訪中団一行は北京滞在中、万里長城をはじめ定陵博物館、願知園、天壇など中国の誇る歴史文化遺跡を参観。また、人民大会堂に烏蘭夫全国人民代表大会常務副委員長を訪問し、和やかに懇談した

五月二十日夜、列車で北京を発ち、翌朝、山西省陽泉に到着。車で大塞人民公社を訪問し、一寒村から豊かな農村に生まれ変わった大塞の現状を参観した。

このあと、陽泉発の列車に乗り、夕刻、太原に到着。晋祠招待所に宿泊した。

翌二十二日、一行は午前七時半、宿舎を出発。玄中寺に向かった。玄中寺は、北魏の承明元年(四七六)、曇鸞大師によって創建された古刹で、日中両国浄土教の聖地である。

玄中寺で和平祈願法会

午前九時、一行が玄中寺参道前の橋のたもとに着くと、住職の明達法師をはじめ寺僧数人が出迎えた。山門には「熱烈歓迎日中友好仏教協会訪中団」の横断幕が掲げられてある。

少憩のあと、大雄宝殿で、和平祈願の法会が営まれた。堂内中央に本尊阿弥陀如来像、その右側に明達法師をはじめ寺僧八人と山西省仏教協会会長·軒智法師や根通法師、左側に訪中団一行が席を占める。

明達法師を導師に一時間にわたる読経のあと、軒智法師が中日両国の永遠の和平と友好をうたった表白文を奏上した。終わって一同、称名をしながら行道。接引堂に向かう。日中両国の仏教徒は、高らかにひびく称名の声を通して一つに結ばれ、法悦と感動にあふれていた。

翌二十三日、太原の崇善寺に参拝したあと、空路、太原から西安に到着。魯曼陝西省対外友好協会会長ら二十余人の出迎えを受けた。

西安では、玄奘三蔵ゆかりの慈恩寺、興教寺や真言宗のふるさと青龍寺址などに参拝した。

二十五日、一行は延安を訪問した。これは日程に入っていなかったが、日本側の要望により、 中国側が特別チャーター機を手配して実現したものである。

延安を訪問、日本仏教使節団では初めて

午前八時、西安空港を発ち、九時すぎ、延安空港に到着。土金璋延安地区革命委員会主任、権乘華対外友好協会会長らの出迎えを受 けた。

延安は西安の北方二百キロにある中国革命の聖地である。一九三七年一月、毛沢東一行は江西省瑞金から一万二千五百キロの長征を終え、延安に到着した。以来、中国共産党中央委員会がこの地に置かれ、延安を根拠地に抗日戦、国共内戦が十年間にわたり続けられ た。

毛沢東は十年間の延安生活中、住居を三回ほど変えているが、旧居はいずれもそのまま大切に保存されている。一行は、土金璋主任らの案内で毛沢東旧居を参観。『実践論』ゃ『矛盾論』などを執筆した当時のことについて説明を受けた。

続いて延安革命紀念館を訪間。展示されている革命当時の武器や資料、文献などを参観。タ刻、西安に帰着した。

この延安訪問は、日本の仏教使節団としては初めてで、あわただしい日帰りの日程であったが、一行は、中国革命の生々しい足跡を実感することができた。

霊谷寺で中国人民へのおわびと懺悔追悼の法要

五月二十六日、空路、西安から南京に到着。空港で、陳良江蘇省対外友好協会会長、宏量霊谷寺住職などの出迎えを受けた。早速、中山陵を訪れ、孫文廟に花輪を捧げたあと、宏量法師の案内で霊谷寺に参拝した。

南京は日中戦争で多大の損害をこうむったところである。一同は大雄宝殿で、道端団長を導師に中国人民へのお詫びと懺悔追悼の法要を、心をこめて執り行った。

二十七日には、揚州法浄寺に参拝、日本仏教の発展に偉大な貢献をした鑑真和上を偲び、鑑真記念堂で勤行した。

二十八日には、江都水利センターを参観。二十九日、上海に入り、玉仏寺に参拝。また、魯迅記念館、工人新村などを参観。六月一日午後一時、大阪空港に到着。無事、帰国した。

今回の訪中団は、日中戦争に対する日本仏教徒としての懺悔行を使命として、訪問先の各寺院で追悼法要を行ったが、戦争を阻止するためには、仏教徒自らの決意や覚悟も常に問われるところであろう。

『日中仏教交流 戦後五十年史』より

Copyright © 2009-2012 longquanzs.org All Rights Reserved. 版权所有