日中友好臨黄協会が設立される

臨済宗と黄檗宗では、かねてから「日中友好臨済黄檗協会」設立の準備を進めていたが、一九七九年五月二十八日、発会式を行い、正式に発足することになった。

宗派では三番目の交流窓口

日本仏教界で、一宗派が独自に中国との友好交流の窓口を設けるのは、日本友好淨土宗協会、日中友好真言宗協会に次いで、三番目である。

臨済宗、黄檗宗の宗祖の遺跡は、中国河北省正定県の臨済祖塔をはじめ、河南省嵩山少林寺福建省黄蘗山など、数多く現存している。

文化大革命などによって、日中両国の仏教交流は長らく中断されていたが、一九七八年八月、日中平和友好条約が締結されたころから、臨済宗でも祖積参拝を要望する声が起こってきた。翌七九年一月、後籐純一妙心寺派宗務総長、有馬頼底相国寺派文化部長、木村靜雄禅文化研究所主事らは、「祖積参拝を実現するにとどまらず、宗門を通じて日中両国の相互理解と文化流を図るため、「日中友好臨黄協会」と設立すべきではないか」ということを話し合った。

早速、一月二十七日に開かれた臨黄合議所新年会の席上、後籐総長が「日中友好臨黄協会」設立の提案をしたところ、一同の賛意を得て、協会設立が具体化されることになった。その後、後籐、有馬、木村の三氏のほか土屋孝喜妙心寺派総務部長、村口素高同総務課長らを加え、設立趣意書、会則、事業計画などについて協議を重ねた。

折から四月十六日、周恩来総理詩碑の除幕式が京都・嵐山で行われ、赵樸初中国仏教協会責任者も、中国代表団の一員として参列された。このとき、後籐、有馬、木村の三氏は、趙氏に会い、「日中友好臨黄協会」設立の趣旨を説明し、協会を求めた。趙氏は「日中友好臨黄協会」の設立は、中国仏教徒として心から歓迎いたします」と賛意を表された。

五月八日、臨黄合議所理事会で、協会設立趣意書、会則などが審議され、決定した。

妙心寺派宗務本所では発会式

発会式は五月二十八日午前十時半から、妙心寺派宗務本所議場で行われ、南禅、東福、大徳、天竜、相国、建仁、国泰、永源、仏通、妙心の臨済宗各派と黄蘗宗の宗教総長、重役及び花園大学、禅文化研究所関係者、来賓などが出席した。

はじめに木村靜雄文化研究所主事から、発会までの経過報告があり、次いで後藤純一理事長が「このたび、臨済、黄蘗の両宗の相互協力により、「日中友好臨黄協会」が設立されましたことは、大変慶ばしいことであります。かつて、周恩来総理は中国の仏教徒と日本の仏教徒が手を握り合えば、世界平和の安全弁にたるだろうと話されましたが、わたしどもは、この協会が日中友好と仏教交流に大きな役割を果たし得るよう、大いに努力し、育てていきたいと念願いたします」とあいさつした。

続いて、顧問の山田無文妙心寺派管長、勝平宗轍南禅寺派管長、村瀨玄妙黄蘗宗師家、来賓の道端良秀日中友好仏教協会理事長が、それぞれ祝辞を述べた。

趙樸初中国仏教協会責任者から祝電

また趙樸初中国仏教協会会長から寄せられた祝電が披露された。大意は次の通りである。

日中友好臨済黄蘗協会が五月二十八日成立するとうかがい、心からお慶び申し上げます。滹沱川の水と鴨川の水が交わり、中日両国の禅宗徒が永遠の契りを結ぶことができますよう、お祈り致します。

中国仏教協会  趙樸初

滹沱川とは、臨済宗宗祖、臨済禅師が開いた臨済院(中国河北省正定県)の近くを流れる川の名である。

このあと、塚本善隆華頂学園長が「中国仏教史観」と題する記念講演を行い、発会式は午後零時半、終了した。

日中友好臨黄協会はその後、中国仏教協会と密接な連絡をとりながら、翌一九八〇年五月、第一次代表団を中国に派遣し、さらに臨済祖塔の修復、整備に取り組むことになる。

『日中仏教交流 戦後五十年史』より

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