真言宗豊山派親善使節団が中国を訪問

真言宗豊山派親善使節団(小野塚潤澄団長以下六人)は、一九六六年七月二十四日から一ヵ月にわたり、中国を訪問することになった。

長年の夢、青龍寺参拝が実現

日本真言宗徒にとって、宗祖·弘法大師が恵果阿闇梨から、真言密教の大法を授けられた青龍寺跡を訪ね、宗祖の遺徳を偲ぶことは長年にわたる大きな願いであった。

三年前の一九六三年、鑑真和上慶祝訪中日本仏教団(金剛秀一団長以下九人)に、団員として加わった小野塚潤澄師(真言宗豊山派庶務部長)は、一行とともに北京から西安を訪れた。しかし、このとき、青龍寺跡は“未開放”のため、参拝できなかった

そこで、小野塚師は、日本真言宗徒の総意として「一日も早く、青龍寺跡を開放していただきたい」という願いを中国側に伝えた。

その後、改めて、日中仏教交流懇談会(中濃教篤事務局長)を通して、青龍寺跡の整備と中国訪問を要請していたところ、中国仏教協会から正式の招待状が届き、長年の夢が実現することになったのである。

真言宗各派総大本山会では、この朗報に応えて、日本真言宗徒の感謝と期待をこめた「メッセージ」を使節団に託して、中国仏教協会におくることになった。

各山会から感謝のメッセージ

真言宗各派総大本山会、メッセージ(要旨)

敬愛する中国仏教協会の皆さん、私達日本密教真言宗徒は、宗祖弘法大師が、千二百年前、長安青龍寺に於いて、恵果阿闇梨より真言密教の大法を授法されたことに、おもいを致すと共に貴仏教協会が宗祖弘法大師に対してつくされたご記慮とご好意に心から感謝申し上げる次第であります。

千二百年前、畿多の困難を乗り越えて渡日し、授戒の大法を行った鑑真和上と同じく、弘法大師は万里の波涛を乗り越えて長安に入り、求法求道の素懐を果たされました。この両大師の心境は、一切の障害辛苦を乗り越えて得た法悦そのものであったと拝察いたします。

私達は、この法悦を世々代々に伝えることを念願いたします。また、日本真言宗各派代表団が貴団を訪問する機会に恵まれると共に貴仏教協会代表団の来日を、心から期待しております。

使節団一行は、七月二十四日、羽田空港を出発、香港、広州、杭州を経て、同二十八日北京空港に到着した。空港には周叔迦中国仏数協会副会長ら多数が出迎え、団員一人ひとりに花束をおくる歓迎ぶりであった。

二十九日午前十時半、広済寺、中国仏数協会を訪問、阿王、周叔迦両副会長、広済寺住職巨賛法師らの歓迎を受け、大雄宝殿に参拝した、そのあと、客殿て、小野塚団長から、中国仏教協会に記念品を贈呈したが席上、小野塚団長は「日本真言宗徒の多年の宿願にこたえてこのたび、中国仏教協会から、温かいご配慮を賜わり、心から感謝申し上げます」と謝意を表明した。

「日中国交回復祈願法要」を営む

八月二日午前九時から、広済寺で「日中国交回復祈願法要」が営まれた。中国僧、ラマ僧の法要に続いて、小野塚団長を導師に読経、国交回復の実現を祈願した。そのあと、小野塚団長から、真言宗各派総大本山会のメッセージが阿王副会長に手渡された

中国仏学院を参観

北京滞在最終日に当たる八月四日、一行は市内法源寺にある中国仏学院を訪問した。同学院教授一如法師、通一法師らの出迎えを受け、本堂に参拝のあと、学院の概況について説明を受け、院内を参観した。

中国仏学院は戦争で荒廃した中国仏教復興の一環として、一九五六年、後継僧侶の養成をめざして発足したものである。

院生は、中国全土から、主として青少年層を中心に募集、卒業後は、出身地区の寺または仏教協会の仕事に当たることになっている。

学院での教課は本科(四年間)と研究部(三年間)に分かれている。専修教科は、一、二年生は仏教概論、中国、インドなど各国仏教史、三、四年生は維摩経、俱舎論、唯識三十領、中論の一部、研究部は法華経、阿含経など自ら選択して研究する。現在の在学生総数は三十七人という。

ゆかりの大興善寺に参拝

このあと、一行は大雁塔·大慈恩寺に参拝、住職の大昶法師と懇談した、大雄殿には、青龍寺址から発掘された尊勝陀羅尼塔や仏像の足など二十余点の貴重な仏教文物が陳列されていた。

続いて、大興善寺に参拝する。大興善寺は、唐代では、密教の根本道場であった、善無畏、金剛智、不空などは、ここで密教経典を翻訳し、密教弘通に大きな役割を果たした。

弘法大師の師である惠果は、ここで不空から密教を学び、やがて青龍寺に住するようになる。かつて、七堂伽藍がそびえたったこの古刹も、今は鐘楼、鼓楼を残すのみであった

一同、小野塚団長を導師に、往時を偲びなから理趣経を読誦、住職の慧南法師に記念品を贈り、懇談した。

このあと、一行は西安を離れ、洛陽、南京、上海、杭州などの各地を訪問、仏教寺院に参拝するとともに文化遺跡、博物館、人民公社なども参側、八月二十四日夜、香港から羽田空港に(看不清)

今回、真言宗豊山派親善使節団が、宗祖受法の聖地に参拝できたことは、戦後初めで、画期的なことであった、日本真言宗徒にとって、多年の宿願であった肯龍寺址参拝への道を切り開き、その後の交流に扉を開いたことはきわめて大きな意義があったといえる。

『日中仏教交流 戦後五十年史』より

Copyright © 2009-2012 longquanzs.org All Rights Reserved. 版权所有