環境の重要さ

2019年7月4日の夕方8時半頃、私は大駐車場から徳塵居へ散策して帰ったとき、不意に丈室のドアの隙間から光が漏れてきたのを見て、心からひそかな喜んで、とても親切で温かく感じました。私は興奮して周りの兄弟子たちに言った:「師匠はカザフスタンから帰ってきましたよ。」

日曜日の午前中、共に修行している居士らはお経を止めて栗を収穫する作業をしていました。午後になっても栗収穫の話が依然と弾んでいる居士もいました。正直にいうと、生活環境を変え、生活方式を変えることによって、汚くきつい仕事をやっているボランティアらは無報酬でやっているほど楽しくてやる気満々になります。日曜日になると家に閉じこもってころ寝をし、家事をやる気もせずに他人に押し付けたり、お手伝いに任せたりする普段とはまるで別人のようなのは、なぜなのですか?

師匠はこう言ったことがあります。「同じ人であっても、異なる環境に置かれてはまるで別人になることもあります。ここから環境の人に対する重要さが分かります。お寺は仏法僧三宝の清浄の地として、我々の内面にある煩悩を浄化することができます。酸素不足のどこかに一人でいるとします。例えば、ヒマラヤの上にいると、息切れそうになる程、息が苦しくなリます。もし酸素を摂り、或いは標高のより低い場所に移動すると、気がすぐに元どおりに戻リます。これは環境が人に対する重要性を示しています。皆はお寺に仏法を学びに来て、必ず仏法が自身に与えた力、自分が仏法に対する体得が感じられ、仏法は一体何かが少しずつ分かってく来ます。」

「三宝の地で何かをすることは、全て自分の心の底から出発した行動であります。自分がやりたい、自分が福徳や智慧の資糧を蓄積したいものであります。これは世の中でやることとは違います。」

言い換えれば、その発心は世の中で仕事をする目的とは違います。三宝の地でやることは単なる奉仕であり、動機が純潔であります。そのため、物質的には何も得られなくても、心からの自由で真の快楽を引き起こします。これこそ身には損をして心が得になることであります。日頃の仕事は家の存続を維持することを目的としており、外在の名利を獲得するためであり、自分の才智を発揮し、自分の価値を証明するためでもあります。真に発心して他人に利生することは少ないです。そのため、達成感がもたらした喜びも自惚れになり、怠慢やその他種々の煩悩を増やすだけで、物を得て心の損になるというわけであります。こういう発心は環境に大きく影響され、大衆の潮流に大きく左右されます。実は自分が善でないことでもなく、啓発されなかっただけであります。三宝の地に来て、周囲の人がもたらした優しくて和んだ雰囲気は長い間積んできた心のほこりをたやすく取り除き、清浄の本心を取り戻せます。

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