心を痛ませる人間関係

小さいごろ、仲間たちが一緒に遊んだら、往々にして違うグループに分けます、これがひとつの集団で、そちらのはもう一つ、こうして別々にしてじゃれあっています。少し大きくなたっら、学校で気の合う子だけと一緒にいて、気に食わない子たちと仲良くしようとしません。大人になって仕事場に行くと、また「站队」をしなければなりません。これが経験豊かな人でしたらみんな知っている暗黙のルールです。

つまり、集団の中で自分の位置を決めることです。果たしてリーダーAを選ぶか、それともリーダーBについていくか、運を賭けないといけません。もし当たったらついているリーダーの勢いに乗って自分も出世できるかもしれませんが、外したらそれまでだ。人はこの中にいると、人間関係上の紛争に陥るのが免れることができなく、子供の時から大人になるまで、いつだってこうした修羅場に閉じこまれています。

人と人が一緒にいれば必ず関係が築かれます。これらのつながりが私たちの命の質に関わります。たとえば、親子関係とか、夫婦関係とか、姑と嫁の関係、上下関係、同僚関係、仲間関係、さらに民族関係、国際関係などが挙げられます。

私たちの苦痛は、それらの関係にあります。考えてみて、普通、人でしたら、必ず自分に不快をさせる関係があります。一生たっても許せない人や物事もあります。こうした不快で許せない関係は、お互いに争いあうから起因していたのでしょう。だったら、人は何のため争い合っているのですか。利益を狙っているかもしれません。たとえば、道端にいる二人の浪人が空き缶一つで激しく喧嘩しあったり、同じ商界の大物の二人が市場シェアのため、人材を奪い合って、お互いの機密を漏らして、訴訟を起こして法廷に行くまで騒ぎ立てるのもあります。その反対、利益のためではない場合もあります。経済的原因以外で紛争を起こす家庭や団体もしょっちゅうあります。そこは権利や、ただの性格上の原因、あるいは意識形態などといった原因が挙げられます。たとえば、おばあさんの王さんと李さんが共通の庭壁の高さとそこを生えている胡瓜の所属権だけで仲を悪くして、長年にわたって二つの家庭が憎みあい、対峙と衝突を続けています。もう一つの例、劉邦と項羽と天下を手に入るため残酷な戦争を起こし、無関係の命まで災難に巻き込まれました。また、王さんが何年間ずっと張さんが気に入らないから、やっと機会を捕まって張さんを引き下げたりとか。家庭だったら問題ないだと思う人がいますが、実は家庭内部でもどろどろな関係もたくさんあります。兄弟の間、そして相嫁や父母、岳父と婿の間など、ここ数年来人間関係の悪化によって引き起こした悲劇も少なくありません。

争うなら勝負がつくものです。勝ったほうがとにかく気を晴らしてすみましたが、負けたほうが名誉が壊れて、取り付くのできない道にあゆませられまして苦しんでいます。とはいえ、勝利のほうはいつまでも勝利のままでいるとは限りません。いつ必ず失敗も訪れるのでしょう。

出家の前、自分がこういう悩みを解けようと絶えずに試みています。少しだけ解決できればと考えましたが、結局は無理でした。普通の人間の知恵と力ではこういう悩みを解決することがとてもできません、やはり仏法に頼ねばならぬと悟りました。私は仏教の弟子だからこの結論を出したわけではありません。居士の段階から出家にいたるまで、いつでも理性で謹慎に選択し判断したゆえ、この結論にたどり着くのに自信があります。これだけ経験したことがあって、そこの解決法として、仏法が確かに有効で、徹底的なのです。しかも学歴が高くても低くても関係なしで、すべての人に適用するのです。

出家の後、常に一つの課題を念頭にしています。自分が学んでいるうちにだんだんと心得たこれらの方法は一体、社会にどれほどの価値があるのか、何の役にたつのか、どうすればより多くの人に利益をもたらすのかと。居士をしてから数えて、仏法に浸かる年も短くありません。自分の内心に向き合わせ、そこで抱える問題を探し出し、工夫するのは、仏法の奥意になりますと分かってきました。一旦内心に向かうと、人と人の間の矛盾は減っていけ、たまたまにあったとしても一方的なので、争いごとにはならないのです。ならば、普通の大衆はどうすればいいですか。姑が嫁と長年お互い目障りでいて、お互い苦しんできた。このような局面をどう打開すればいいですか。私に言わせると、その解決法は、着々と念仏し、仏法を学ぶことにあります。

理屈を並べるだけでは効果が限られています。人は複雑で苦痛の満ちた人間関係の中に置かれると、理屈が分かっても、内心には定力が足りなかったら、決して情緒をコントロールできず、物事をさらに悪いほうへと走らせるだけです。まして、現代人には高い学歴の持つ人が多くいて、理屈はたくさんしっていますけど、どうも行動につながれませんね。

念仏や仏法を学ぶとかに、環境が大事です。でないと、根本的解決策が見つかりません。道場を見つけ、じっくりと学ぶのが一番です。半年か一年、あるいは三年か五年、修行がうまくできれば、人の雰囲気も一変します。しなやかでやさしい顔をしてて、みんなに好かれるようになります。そう上手でなくても悪くも絶対ないです。二位の選択は家でまじめに学ぶのです。家族を挙げて本を読んだり、テープを聴いたり、仏経を勉強したりして、少しずつ是非を翻弄する人から離れていき、修業のある師匠や大徳、出家の人に接するようにします。そうすると、家庭内の矛盾がだんだん減っていき、ますます好調に変えるに違いないでしょう。長く念仏を続ければ、子供の教育にだけでなく、知性にも大きなメリットが見られます。、世間の知力開発というのを絶対越えます。もっとも進めないのは、勉学してはサボることです。何日か勉強して、で、それを置いてどこかに遊びに行くというのは禁物です。とはいえ、ちっとも学ばないよりもましです。

学ぶのに日課が必要です。日課というのは毎日仏経を唱えて、念仏をすることです。時間や量を決めて、年月のたつにつれ、そのよいところが見られます。なんの管理のコツよりも役に立ちます。一つの会社では総人数の半分以上が仏法にうまく励んだら、ボスは何も心配事はしないでしょう。家庭に行くと、半分以上の家族が仏法を学んだら、家中は真の幸せが迎えられます。

自分は出家した後、何の経論も学ぶことなく、まずは安住を学びました。そして、幅広く「广结善缘」(他人とよい関係を築くこと)も。もちろん、仏教には人との付き合いに完備かつ系統的方法はあります。手をつけるところもたくさんあり、理論もよく整っています。その気になってアクセスすれば、きっと理解できます。私たちを痛ませるすべての人間関係はこの「广结善缘」の四文字によって解決できます、肝心なのはするかどうか、そして、どれほどするかというところです。

これが実践を経て得られた私の実感です。

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