何故、それを求……

 何故、それを求めるのかとおわかりなさい.人はしばしば他人との比較の中、決して辿りたくない道を歩んでいき、他人と同じような生活を送るようになる. 

善縁では待たない、自らの力で営む.思うままちっとも動かず、結局何も起こらない.

 

善良の品格は、ダイアモンドのようで、磨き上げれば、ぴかぴか光りを放つ.難儀には苦しまない、命を輝かせる道のりだ.

 

不如意なことに遭うのは一重の傷になる.内心に恨むのは二重の傷になり、尚且つ後者の危害は前者のをはるかに超えた.もし一重の傷を避けられなければ、必ず二重の傷を避けよう.自分で自分のことを苦しめるからだ.

 

慈悲心、利他心を持って、不殺生•放生•布施•看病といった善業を起こすことは人が長生きする.それに対して、怒り恨みの心、損悩の心による殺生•打ち罵り•貧病を救済せずなどの悪業をすることは人が多病短命になるものだ.

 

楽しいとき、あなたは思……

 楽しいとき、あなたは思いなさい.この快楽は永久ではない、と.苦しいとき、あなたは思いなさい.この苦痛も永久ではない、と.

 

時間は涙を忘れさせるが、その習いを忘れさせない.恨み言は不満を満足させるが、しばし、更なる不満を呼び起こす.故に、一心にやるべくことをやり、報いを求めない.人間は変わるものだ.

 

親の言行は、正面から子供の心身成長に影響を与える.大悲心の言行は、子供の心性をもっとも素直に感化させる.

 

快楽は慈悲の礎で、苦痛は執着の果実だ.

 

努めて相手のためを思い、教えも頑な方途を捨て、子供は<私の子>と考えてはいけない.

 

今日の働きは明日のため、一生の働きは来世のため、未来永劫を貫く働きは、唯々仏成のため.

意志を鍛え磨き続……

意志を鍛え磨き続けることによって、困難にも自信をもって直面できる.

 

心に光が満ち溢れた円満な人は、ほかに光を求めず、他のものを照らすように、他人の関心を求めず、喜んで他人に関心を寄せる.

 

仏法を学ぶ上でもっとも大事なことは、自らの心の歓心を求めることではなく、さまざまな人に対して多くの慈悲心を発し、多くの善行を行うことである.

 

難しいことをすれば、本当の行いであり、我慢できないことを我慢できれば、本当の忍耐であり、修行しにくいことを修行できれば、真の修行であり、受け入れられないことを受け入れれば、真の受け入れである.

 

簡単に見えることでも、日々研鑽し、琢磨し続ければ、容易ならざる真の力を持てるようになる.

みんながともに発心して……

 みんながともに発心して、自らやり始め、今こそやり始め、生活の中で仏法を実践し、自らの生き方を改善することで、他人に影響を与え、感化させる.

 

仏法を修学する目的は内心の境界を昇華させることであり、聴聞の進捗を急ぐにあらず.仏法を学び、成就を志す.一途に数量を求めない.

 

此岸と彼岸、凡夫と成仏は、時間的に、さらには空間的に隔てられるわけでなく、自らの思惟的な距離だ.

 

人生の道のりはさまざまな障害に遭遇する.そのような時には、清らかな心で発心し、至誠を祈りなさい.どの境界においても仏様や菩薩を、私たちが如何に学ぶかに依る.

 

よく発心して、他人に利益をもたらすことだけを考えなさい.怒らず、明るく振る舞うことを考えていれば、次第に内心の煩悩が少なくなり、積極的な行動が芽生え、精神も ますます強靭になるだろう.

 

自分の不足を見出し、至って改善するよう自己を鞭撻しなさい.単に自らを否定すれば、かえって自らの勉学の障碍になる.自他の進歩を多く随喜し、觀功念恩を修習すれば、積極的な力を生むことができる.

われわれの悲心の源泉……

 われわれの悲心の源泉である人、事、物は、目下観世音菩薩の千百億の化身である.

 

仏菩薩は絶えず衆生に利益をもたらす.ただ衆生はそれぞれ精神と性格が異なるゆえ、異なった縁起をもって衆生を利益させる.

 

冥利の境地に身を置けば、心はそれに従って歓喜を得、不遇の境地に身を置けば、心はそれに従って煩悩を倦む.心が終始冥利の境地と不遇の境地の中に迷えば、永遠に解脱できない.

 

すべては心の変現である.仏法の篤学は、根本的、基礎的なところから始めるべきであり、帰するところ帰依と因果である.

 

菩薩行とは何か? 菩提心とは何か?

それは黙々と衆生の必須を行うことである.

 

“保持”という考えはもつべきではない.すべての苦しみは希求にはじまる.

 

仏教の法に従って実行すれば、仏に会い見(まみ)えることができ、そうでなければ、仏の前に伏しても、仏は彼(か)の人を見ることができない.

 

「執着」は停留した水のごとく、時間とともに異臭を放つ.修行は活性している.われわれは“今”を生きているのである.

 

拝懺(懺悔のために仏を拝む)の秘要は、正真の懺悔の心を生み出すことである.

 

異なる業果は異なる因縁に依る.

 

仏弟子の行いの規範とは、「他人の利益を損害するかどうか」だけでなく、もっと大事なことは、自らの内心が「三毒」(人の善心を害する3種の煩悩.貪・瞋・痴)に惑わされないよう、注意すべきことである.

 

仏法の根本的な教えは苦、空、無常、無我であり、それらに知悉(ちしつ)すれば、涅槃は証得できる.

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