当今の社会における仏教徒の使命について

——仏教の慈悲、智慧を人間に徹底させるために

中国仏教協会副会长
明生

仏教は当今の社会における三大宗教の一であり、二千年以上の悠久な歴史を持っている。長い歴史の流れにおいて、仏教は平和を愛する諸民族の人々に限りのない啓示と智慧をもたらしてきた。人類史上にも輝かしい世界仏教文化が形成されてきた。人文倫理、文学芸術、政治経済、科学技術などの各方面にわたる成果がありながら、特に文化の伝播、和諧社会、善隣友好、世界和平を促進するに関してかけがえのない役割を果たして、普遍的な課題の解決と新世紀の世界文明を建設する際の重要な文化資源になっている。信仰が必要とされるこの時代に、仏教は人々に尽きない信心と希望を与えた。それでは、仏教の教理と教義に、一体どの部分の精神と価値によって、仏教の世界史上における優れた成果がうまれ、異なる民族構成と信仰、異なる文化的伝承を持つ人々に尊重、信奉されるようになったのか。問題の答えはわれわれが今日強調し、希望を託す、徹底させようとする内容そのものであると信じておる。

一、仏教教義の根本——智慧の慈悲の建立

仏教の根本的な教義は釈迦牟尼仏の一生の行いから伺える。太子であった釈迦仏は裕福な王宮生活から出家、求道の道に入り、雪山苦行、樹下思惟によって円満な覚悟を得るのは、無上の根本智慧を求めて、もって衆生を生、老、病、死苦から救うことを目指していたからである。言い換えれば、釈迦世尊が出家し、無上正覚を求め、確認した本願は三界衆生の慈悲利済にある。だからこそ、釈迦世尊は菩提樹下で明星を見つめて無上覚悟を得られた際、一人で証悟解脱の法楽を享受するのではなく、毅然と「正覚者の独楽」から歩みだして、常楽我浄の大慈悲心をもって民衆の間に入り、五比丘の得度のために、四諦法を説き、仏、法、僧三宝という正教を構築した。世尊は菩提伽耶の覚悟から鹿野苑での初転法輪へと、さらに四十九年の説法にいたるまで、その横、竪、顕、秘の説はすべて身の回りにいる四衆弟子にいかに智慧を証明し、衆生を利済するかを示すためであると、釈迦仏の本生話を通して分かるものである。

そこで、釈迦仏の本懐を知れば諸仏本心の根本精神が分かる。『観無量寿仏経』に「諸仏心者、大慈悲是」とある。慈悲はすなわち仏心の根本であるとすれば、その立脚点はどこにあるのか。『普賢行願品』は「一切衆生而為樹根、諸仏菩薩而為華果、以大悲水饒益衆生、則能成就諸仏菩薩智慧華果」という答えを出している。経文の啓示で分かるのは、「大悲」は菩薩が菩提心を発起する根本所縁であり、いわゆる「諸仏心者是大慈也、大慈所縁縁苦衆生」である。饒益衆生とは仏果の成就の糧を蓄積していくことだから、菩薩が利益衆生の種々の行為を発起できる。

菩薩は衆生を利益する同時に自らを益している。自利利他のプロセスを通して、「荘厳国土、利楽有情」という目的に達しようとしている。菩薩が国土を荘厳にするのは、すなわち菩薩自身の清浄でこの世を荘厳にし、この世を調和、平和に向けさせるための積極的な要素を取り入れようとした。「利楽有情」は右に述べる慈悲に基づくものである。しかし、原則なしで与える、縁起なきの慈悲ではなく、智慧の導きにしたがっているものである。これは通常の意味での同情に近い慈悲ではない。仏教の慈悲はこの考えから衆生を得度する実際の力を発揮できることにある。智慧が大ければ大きいほど、悲心が広い。悲心が広ければ広いほど、智慧はいっそう明になる。そこで、仏教には生縁慈、法縁慈、無縁慈があり、異なる智慧の境地を表している。よって、智慧と慈悲の二者はお互いを縁起とするもので、智慧をもたざれば、真の広い悲心を生み出すことはできない。一方、慈悲を欠かせば、智慧も究竟解脱の役割を示すことはないであろう。『華厳経』にある話では、善財童子が訪れた善知識は全員大菩薩で、善知識の各位が示したのは全部大乘菩薩の解脱の境地であった。菩薩の利益衆生は特定の一方面に限られるものではなく、衆生のすべての行動場面を覆うものである。諸大菩薩の事跡が、智慧と慈悲の二者の完全統一こそ仏教の根本精神であると証明している。

二、続仏慧命のかなめ―― 智慧と慈悲の広敷

歴史的に、原始仏教から小乘仏教へ、そして大乘仏教にいたるまでの各時期に、仏教の智慧と慈悲精神をもって異なる国で、異なる文化的背景の下で勇敢に事にあたり、歴史的な貢献をしてきたのは仏教徒の事業であった。たとえば、紀元前3世紀より、仏教は古代インドの恒河の両側から北へ、南へと伝播され、多くの風俗、信仰の異なる国に伝わった。このプロセスで、仏教は円満な智慧をあがめ、これを獲得するための理論手法を備えているから、各国の民衆より真摯に尊重された。さらに、世界を解き明かし、風俗を導く慈悲の行為によって、仏教は史上において広く認められ、異なる文化的伝承と融合し、吸収し、各時期において輝かしい成果を作り出した。現在でも、スリランカ、タイ、ミャンマー、中国、日本、韓国などの東南アジア諸国、欧米など各地において社会、政治、人文的な地位は大変重要で、絶対多数の民衆の生活、学習と価値観の形成に影響を与えてきた。

中国では、仏教は儒釈道からなる中国伝統文化の重要な構成要素である。仏教の伝来によって、中国はその対外交流のルートをいっそう豊富にした。多くの西域、インドの高僧はシルクロードを通って中国に来られ、仏経の翻訳に従事したり、教義の講説をしたりして、仏経の普遍的な智慧と慈悲の精神を伝播した。一方、中国の高僧大徳、たとえば朱士行、法顕、玄奘法師なども学習と求法のために相前後して西域とインドへ行った。このような数百年にわたる往来の過程は、仏祖の慧命の継続、智慧への尊重、慈悲の布施の具体的な表れである。いわゆる「知恩報恩」とは自分が身につけた智慧、慈悲を必要とされるところへ広めることを指している。

日本の方々から「日本文化の恩人」として尊敬される鑑真和上は六回の生きるか死ぬかの試練をへて、やっと日本に渡航できた。日本に滞在した7年間に、律宗を創立して、皇室、大臣に授戒をし、日本社会における仏教の地位を高めた。同時に文学、芸術、医薬を日本にもたらした。よって今日でも日本で唯一無二の歴史的名誉を享受している。そして、日本の古代の高僧最澄、空海、栄西、道元などの大師や、三韓の高僧円通知訥、新羅の元暁、義湘大師などは全員中国で仏法を習ったあと、帰国して各自の高く評価する宗派を始めた。日本人僧である慧萼は中国の普陀山で不肯去観音院をつくり、これは普陀山における最初の寺であった。高麗の道朗は中国に習いにきた際、三論学を広めて、中国における三論宗の創設のためにしっかりした基礎を作り上げた、金地藏、金無相は中国の九華山と保唐禅派を始めた。現在、仏教は日本、韓国において社会、政治、人文的な地位は大変重要で、絶対多数の民衆の生活、学習と価値観の形成に影響を与えてきた。

史上における以上の著名な高僧は自分自身の智慧を円満にしてから、慈悲心を発し、身につけた仏法の智慧を必要とする人に布施して、最終的に無量の有情を利益し、偉大な功績を成就し、今日に至っても各国の人民に尊重、賛嘆され、高い評価を受けている。今日われわれが歴代の高僧大徳を褒め称える目的は彼らの生き方から「仏祖の慧命を継続する」かなめを見出すことにある。史実によって証明されたように、いかなる歴史時期、人文環境においても、智慧と慈悲は仏教徒が背負う自らの修行と他人を教化する、「「仏祖の慧命を継続する」という高遠で栄光なる使命である。これをのぞけば、「上無以円成仏道、下无以拯済群萌」になるであろう!

三、目下の使命―― 智慧と慈悲の徹底

時代と共に進むとは使命を引き受ける歴史的な要求である。徹底とは本当の意味で仏法の慈悲と智慧の役割を発揮させることであり、もって自利利他の説明とする。引き受けるというのも、盲目的に引き受けるわけではない。われわれはこの世界に対する責任感を持つ上に、現在抱えている課題をはっきり認識する智慧を併せ持っていなければならない。

世界経済、社会、環境、資源の一体化がかなり進んでいる現在では、社会の基本的な特徴は、経済のグローバル化、国際関係の構造における多極化、文化の多元化に現れている。ひたすら経済のスピーディーな発展を追及してきたことを背景に、多くの国ではヒューマニズムにたいする軽視、テロリズムの悪夢、資源の欠乏、生態圏のアンバランス、心の寂しさと精神の混乱による自殺などの社会問題が存在している。これらの問題と危機のなかには、一面的にモノを追及することや信仰の相違から生まれたものがある一方、信仰を持たない、さらに言えば、慈悲と智慧が広敷、徹底されないことによるものが大部分である。

仏教の智慧観からみれば、この世には絶対的な対立はない。いかなる対立でも条件によって変化をとげ、場合によって解消することもあろう。世の中にあるあらゆる闘争、矛盾のでどころは一時の不都合を永世のへたたりと看做し、縁起という角度から問題を考えないからである。縁起のルールというのは、存在するすべての物事にはその内因と外縁があり、一方的に実際存在する事実を抹消してはならない。人間は物事の彼我が縁起となりあう、相互に頼りあうという角度から対立するあらゆる物事をみるべきである。このようにすれば、利益とトラブルは一方的なものでなくなり、人の問題解決を助けるのは即ち自分に善の力を増やすことになる。人文的な倫理の面では、衆生平等、仏性無二という考えを唱え、人間に対する尊重、ヒューマニティーを強調する。テロと応力にたいしては、仏教の因果循環、善悪有報という法則を宣伝し、人々に善悪をわきまえさせ、平和を守るようにする。生態環境に関しては、依正不二の相互依存関係、人間が世間の万物との消長関係のルールを強調すべきである。感情の変化による自殺を解決するには、仏教の世間無常、有情皆苦という観念を宣伝し、自学自度、自修自証の実践信条を宣伝し、人々に自分及び社会に対する信心を持たせるようにする。特に、自然災害や、危険な状況の人や生活の困難な人に救いの手を差し伸べる面では、積極的に仏教の慈悲精神を用いて、仏教の慈善事業の対象をさらに多くの分野へと拡大して、社会の圧力を軽減し、衆生の負担をおろす。正信を啓発し、人心を浄化し、衆生の貪嗔痴の煩悩心を慈悲心、智慧心に変えて、自私自利を放棄させる。これにより人々が喜んで人を助ける、善意で人を手助けする、人と自然、個人と社会の高度な統一と調和を実現させようとする。これらはすべて仏教の慈悲と智慧という根本的な精神を発揮し、各国の祖師大徳の輝かしい模範を見習う実際の行動である。

以上でわかるように、仏経は世界のもので、世界は仏教を必要としている。三カ国の仏教徒は智慧、慈悲という根本的な観念に立脚して、各自のいる環境において、実際の行動を通して使命を果たしていく中で、自国のより多くの民衆に認めてもらう。同時に、仏教のこのような根本精神を積極的にアジア全体、欧米、アフリカないしは全世界に影響するようにして、全世界の民衆に認めてもらうべきである。これこそ功徳無量、利益無辺といえよう。このようにすれば、三カ国の仏教徒が背負うべき大乘仏教の慈悲、智慧という使命はやっとその栄光なる究極的な目的に達するのである。仏法慈悲、智慧の光があまねく個個の有情衆生を照らし、社会が調和し、世界の平和も遠い先のものでないよう、菩薩が円成仏果し、浄土は即ち人間あるよう祈願する。

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