現代社会における仏教文化の価値の実現問題へ のアプローチ

中国佛教協会副会長、広東省仏教協会会長明生

現代中国社会の変形はすでに新しい段階に突入している。中国は世界第二経済体になるにつれて、その和諧社会建設や、科学的発展の実現、経済社会建設の促進等が、益々今日の中国社会の主題になる。この変形期の現実社会には必ず様々な文化形態が色鮮やかに現れよう。価値観の多元化、信仰の多様化が現代社会進歩のシンプルになっており、長い歴史と深い蓄積をもつ仏教文化は、この複雑且つ変化の激しい時代において、その存在価値がどこにあるのか?仏教文化は現代衆生にとって、どの位摂受力があるのか?という問題が、今の仏教界、特に仏教を主要信仰とする中韓日三国の仏教界人士にとって、避けて通れない答えるべき問題である。

紀元前五、六世紀に、東アジア大陸の黄河中下流の中原地域において、儒家と道家等の学説が形成した。儒家思想は「人」を本とし、「人」の角度から人生、社会と自然を見ることに重点を置き、人の生命の意義と価値を重視し、道徳が人生の最高価値であると宣揚していた。道家は「自然」を本とし、「自然」の角度より人生、社会と宇宙を観察することに重点を置き、自然が人生の根本であることを強調し、自然に順応、回帰することを主張していた。儒家の「人」本位と道家の「自然」本位という二つの中核的思想が中華古代文化の基礎を固め、方向向きを決めたのである。そして、仏教は一種の宗教或いは思想として西域で商売していた商人達によって最初に中原に齎され、紀元前一世紀前後、この奥深くて神聖なる仏教が中華大地に伝播されたあと、更に中国を経て朝鮮半島と日本に伝播され、仏教が儒家と道家の学説と共に、中韓日三国社会に深い影響を及ぼし始めていた。

文化形成の根拠の角度から考察すると、儒、道、仏の三家並立の局面の出現は決して偶然ではなく、それには二方面の原因があると考える。一つは、三家文化の趣旨の共同性と相似性である。三家思想の主要目的と根本宗旨は何れも「如何に身を処するか」、「如何に理想的人格を形成させるのか」を人々に教える所にあり、みな生命哲学の学説であると言えよう。二つは、三家文化の内容の差異性である。三家文化体系の基点、構造、内容、思惟方法などが皆違い、これは違う人込みの文化的、精神的欲求に適応できるのみならず、三家互いの補充と融合にも有益的である。特に、インドから伝来した仏教が中華伝統文化の中に融け込むことによって、中国の哲学や、倫理、宗教学、歴史学、文献学、文学芸術、天文学ないし医学と民俗学等の内容が著しく豊富になり、儒、道文化の局限性を補うことになった。正にこの意味から、中華文化が古代東方哲学と文化の主体の性格を現し、最高の成果を呈していると言えよう。

隋唐時代に入ると、中国仏教が黄金時代に入り、中国僧侶がそれぞれインド仏教経典を根拠に宗派を創立し、各自の理論体系を作り上げ、三論、天台、華厳、慈恩、律、浄土、禅、真言など、八の主な宗派を形成させ、中国仏教が全盛期に入った。そして、日本と韓国において仏教の流伝と信仰の全盛期も始まっていた。しかし、紀元841年後、五年連続の「会昌法難」が中原の仏教を酷く傷付け、南宗禅の一脈を除いて、各宗の法脈が殆ど途絶えていた。幸い、諸宗の法脈及び大量の貴重なる経典が求法僧らによって日本に齎され、よく保護、伝承されてきた。中国仏教の伝承者として、我々がここで日本仏教界に感謝したい。前世紀の初め、楊仁山等の先生たちが日本に保存されてきた沢山の経典を再び祖国に伝えた。今日、我が仏教界の最も使っている、資料保全の最も完備なる大蔵経が、日本仏教界によって編纂された『大正大蔵経』、『卍正蔵』、『卍続蔵』であり、その中に、中韓日三国仏教界先輩の数多くの著述も含まれている。これは仏教文化を現代社会に流布し続けさせる巨大な文化工事であると共に、今の中国編纂の『中華大蔵経』漢語部分の基本的根拠にもなる。

様々な『大蔵経』の電子版の出現につれて、寺院の経蔵に深く納められてきた仏教経典が普通の家庭にも入ることになる。これが現代における仏教文化普及の一つの革命的な現象であり、その影響力および社会倫理教化への働きは計り知れない効果があろう。そして、今、元々キリスト教の領地である欧米社会において、チベット仏教と中国より発端した禅宗仏教が益々重要な影響力を発揮しており、これは漢語仏教界にとって深く思考すべき問題であり、即ち、現代社会において、仏教の社会的影響力を発揮し、仏教文化の社会的価値を実現し続けさせようとすれば、如何様な精神製品と信仰資源を社会に提供すべきであろうか、ということである。

無論、宗教の社会機能と価値への認識は、社会のその他の文化機能を認識すると同じように、同一の基準に置き、同様の標準をもって評価すべきであり、無限に高く評価したり、随意に低く評価したりする立場を取るべきではない。したがって、仏教への認識において、心を慰める機能を一面に強調して、社会的価値を見下したり;或いは、その社会的価値を一面に強調して、その精神慰めの機能を無視したりすることは、歴史的にも現実的にも中国の実情に合わない。中国語環境下の仏教は儒、道の文化と同じように、その社会倫理における教化と制約の働きが最も顕著な社会機能であり、そして、社会公益事業への参与という社会機能が仏教文化の中の「済世度生」理念の最も実質的な現れであろう。しかし、これは仏教の宗教信仰としての生死問題への関心という精神慰め機能が欠如していることを意味するわけではない。歴史と現代仏教の事実から見ると、仏教の社会機能は、それぞれの歴史時期において、重点を置く所が違う。ある時期、仏教の社会制御機能が徹底的に働き;ある時期、仏教の凝集機能が特出し;ある時期、仏教の精神調整機能が顕著にあらわれる。ある時期、仏教の働きが歴史発展の流れに順応すれば、正面的機能或いは積極的機能として働き;ある時、仏教の社会機能を完全に発揮すればするほど、却って社会発展の妨げとなって、マイナス機能或いは消極的機能として現れる。実際のとこと、仏教の社会機能が積極的であるか或いは消極的であるかという評価の基準は仏教自身にあるのではなく、仏教の頼って存在している根源――社会――にある。

仏教寺院に奉っている弥勒菩薩は、その満面の微笑みが、天下のことをすべて受け入れられる度胸を表している。四天王はそれぞれ責任、進歩、博学、幸福を表す。阿弥陀三尊はそれぞれに意味がある。真ん中の仏が仏教の主導者であり、本位を代表し、観世音菩薩が大慈悲であり、悲を代表し、大勢至菩薩が智慧を代表する。それは即ち、仏教の大慈悲は智慧の土台の上にあり、どんなことをしても感情でやるのではなく、法に則ってことを運ぶべきであるということである。よって、仏教は人を教化する宗教であると言われ、人々に現世において「広く福田に種まき、徳を積み、善をおこなう」こそ、来世に極楽を享受することができると教育するわけである。したがって、仏教の教理と教義は今の社会の人の行為や貪欲を制約したり、善いことを行おうと教えたりするには積極的な作用がある。特に禅宗は、人の働きを重視する。なぜなら、人は善悪の主体であり、宗教実践の主体だからである。仏に成るのは人間だからである。しかし、普通の人々は日常生活の中で、外の物事に支配され、人間としての自主性を失っている。例えば、人の言葉によって気持ちが左右され、自己をうしなってしまうことがある。禅は、その機能から言うと、個人に啓示を与え、自由に生活させる芸術であり、また、人々を助けて生命の究極を悟らせ、煩悩を解脱させ、本来の自己の活力を露出させるものである。人は自分の信仰と目標を持つべきであり、修行によって自分の価値観と世間を渡る原則を確立すべきである。そして、これらについて、みな禅の心の中から答えを見つけることができる。禅の心は包容の心で、淡泊の心で、平等の心で、感謝の心である。これはまた社会が主張する道徳の気風でもある。また、禅の心は自己約束、自己慙愧の心であり、仏教の究極の真と善の精神理念を悟ろうとすれば、世間の現実生活を通して実証しなければならない。

社会も、体制も絶え間なく変化しており、就職の競争や商売の競争など、至る所にある競争が日増しに激しくなってきている。学生には進学の圧力があり、中年と青年には社会と家庭の両方の圧力と試練がある。もし精神的理念と意志がなければ、社会が動揺し、危険に陥るかもしれない。益々向上してきた科学技術が精神の代わりにならず、益々豊富になる物質が信念の代わりにならない。道徳倫理などの精神面に残される遺憾は、如何なる先進技術も勝てない難問になる。仏教の倫理精神は、現代人の心の成長と超越と、個人生命の浄化と全社会の調和及び人心転換を促進することにとって、その独特なる人間的倫理要求には一種の指標のような道徳規範的意義があり、時代の重要な倫理的価値に富んでいる。

また、同時に、すべての人には果たすべき社会責任があると我々は冷静に認識すべきである。仏教の責任は何であろうか?仏法を弘揚し、その慈悲の精神を実践することが、仏教の社会責任である。また、仏法をもって民衆を指導し、煩悩を解除させ、心を浄化させ、医療の至らない処を助け、仏教の社会への善い影響と働きを知らせ、宗教の実際的価値を理解させるなどは仏教徒の更なるなすべきことであるが、事実上、仏教の重点は生死を解脱し、衆生を度化し、人心を浄化し、社会を調和するところにある。

現代の中国仏教は、常に社会との順応に重点を置くべきであり、現代人の精神世界の変化に関心をもって、時宜を計って、精神を慰めるという信仰の力を与えるべきである。これは仏教の社会責任であり、仏教文化の社会的価値を実現させるための通らなければならない道である。また、社会との順応は、仏教文化の社会的機能発揮の基礎であるから、そのために、伝統文化を高揚し、中華民族の共有の精神的故郷を建設し、仏教徒の平等に教育を受ける権力を保障し、仏教文化の優勢を発揮し、国のソフト・パワーを向上させるべきである。また、仏教の弘法活動を社会調和や社会倫理の向上と緊密に結合させ、出家の僧侶への基本保障制度を確立し、仏教文化の社会奉仕の作用を発揮し、仏教文化の社会価値を実現させるべきである。

筆者は上海玉佛寺の住持を務めているが、中国最大都市にある上海玉佛寺は、仏教文化の価値を現代社会に実現させるために、様々な探索と実践を行い、特色のある都市仏教文化づくりの考え方とやり方を形成させた。例えば、都市の文化資源を整合して仏教文化事業を開拓したり、現代科学技術を吸収して仏法の普及に利用したり、都市の管理経験を借りて公益慈善事業の領域を広めたりするなどである。それは、都市を土台として、都市社会の運営方式に順応し、様々なチャンスを把握し、その豊富なる社会資源を利用して、仏教文化の理念と精神を都市発展と社会進歩の時代流れに融合させることで、これを通して、仏教文化の現代社会における価値と機能を発見していく。これは、上海という現代都市にある仏教文化の生命力を旺盛に保っていくための根本的な方法であると考える。

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