画像で見る世界の宗教と哲学と仏教(画像は発表当日提示する)


日中友好宗教者懇話会副会長  吉田 宏晢

前 言

今日の世界にはいろいろな宗教があり、人々はどのような形であれ何らかの宗教に関与し、冠婚葬祭などの儀礼の中にも必ず宗教的意味が含まれている。そこでそれでは宗教とは何かとか、仏教やキリスト教やイスラム教はどこがどう違っているのかとか、仏教徒は何を信じているから仏教徒なのか、キリスト教徒は何を信じているからキリスト教徒なのかといった質問をしても、なかなかはっきりとは答えられないのではないかと思う。特に日本人の場合、檀家寺が決まっていて、葬式やお墓参りは自分の寺で行っているのが普通だからから、自分の寺の宗旨が何であり、それは他の宗旨とどう違っているかとか、その宗旨と仏教とはどういう関係があるのかといったことはあまりよく知らないし、また知らなくても毎日の生活には何の支障もないと思っている方が多いと思う。

しかし、今日、中東や欧米で起こっている戦乱やテロの背景には民族や宗教の違いが色濃く絡んでおり、しかもその対立の歴史も大変長いので、一朝一夕で平和と繁栄が戻るという期待が持てそうもない。一方。アジアでは宗教的対立抗争はほとんどないと言えるが、資本主義体制と共産主義体制という制度的な対立が根強く残っておりこれも何時融和していくのかという見通しがつかない状況である。体制上の問題はさておき、世界の宗教はどう違いどこが共通しているのかを知ることは、仏教とは何か仏教徒であるための条件は何かを理解するために必要ではないか。たとえばリンゴの味はブドウやレモンを食べてみてはじめてその特徴がわかるのと同じである。

更に大事なことは、誰でも何時かは、身内が亡くなったり親友が亡くなったりするから、その時初めて悲しみのなかで宗教や仏教の儀式や説法に出会い、或いは自分が病気になって死に直面したり、死を予感したりすると、やはり死後どうなるかとか、死の恐怖に苛まれながらそれをどのように乗り越えるかということを必死になって求めるであろう。又、老病死の問題だけではなく、人生の様々悩みの解決を誰しも何時かは必ず迫られる時があろう。そこでこの発表では、その場面に遡って諸宗教の比較や、宗教と哲学の関係などについて、画像を使ってその違いを明らかにしたい。

私たちが苦しみや不幸を乗り越え、安らかで幸せな生活を送るには単に政治的、経済的、社会的に平和であり、生活が安定していればそれで十分だというわけにはいかない。勿論、それらは一般的には幸福の必要条件ではあろうが十分条件ではない。(一般的にと言ったのはそれらの条件が満たされていても、必ずしも幸福ではない人もいるからである)。さらにこれらの必要条件は国家間の紛争や、民族対立、階層対立などによって、忽ち崩壊してしまうし、たとえそのような安定が保たれていても、家族や個人の病気や死は必ず訪れるからその幸せは一時的なものに過ぎない。そしてその時、政治や経済や社会や文化では解決できない問題が生起していると言うことが出来る。

宗教や人生哲学は正にこの場面でこそ必要とされると言ってよい。ただこうはいっても人々は民族や地域社会の伝統的な宗教環境の中で生活しているので、家族の死や自分自身の死について、敢えてわざわざこれを考えなくても既成の宗教儀礼でこれを解決していると言うことが出来る。そしてこの慣習的な宗教儀礼は生活習慣でもあるから、敢えてその意味を問うとか、他の儀礼との違いはどうかとか、なぜそのような違いが起こるのかなどということは不問に付してしまうのが普通であろう。しかし、自分自身や愛する者の老病死の苦しみや悲しみを根本的に乗り越えたいと思ったら、その時にはどの宗教を選ぶかとか、少なくとも夫々の宗教の教義はどう違うかという疑問が湧いてくるであろう。

そこでこの発表では世界の諸宗教の教義的な違いと、特に仏教の場合の特質を明らかにしたい。又、諸宗教の違いだけでなく、古代から哲学と宗教とはどのような関係にあったか、また宗教と倫理とはどのような関係にあったか、についても画像を用いて明らかにしたい。画像を用いる意味は仏教や宗教の専門家である人たちだけを対象にするのではなく、世間一般の人たちを対象にした場合理解しやすいと考えるからである。

とりわけ、今日の科学技術の進展はIT革命の時代に突入しており、人間の知能までが機械に代替されるという事態に至っている。それ故、宗教や哲学はこの事態をどのように解釈し対処するのか、なども考えていきたい。

目 次

1 世界の宗教地図

2 埋葬の考古学的起源と人類にとっての宗教の意味

3 死後どうなるかについての2種類の考え方、及びそれぞれの宗教の信条

4 仏教の場合

5 ギリシャの宗教と悲劇と哲学

6 西洋近世哲学

7 まとめ

1 世界の宗教地図

この発表の初めに現今の世界では、諸宗教がどのような割合で分布しているかを示しておきたい。この図によってもわかるように、世界で最も多くの人々によって信仰されている宗教はキリスト教(22億5400万人、33.4%)である。次いでイスラム教(15億22.2パーセント)。3位がヒンドゥー教(9億1380万人、13.5%)。4位が仏教(3億8400万人、5.7%)となっている。そのほか、ユダヤ教や儒教、道教、日本の神道などもあるが、これらはヒンドゥー教と同じく民族特有の宗教で、普遍宗教と言われるキリスト教やイスラム教、仏教とは区別されている。又、このほかに無宗教(7億6900万人、11.4%),無神論(1億4830万人、2.2%)といった配分になっている。(ウイキペディア所収)

普遍宗教である3つの宗教もキリスト教はカソリックとプロテスタント、イスラム教はスンニ派とシーア派、仏教は南方佛教(部派仏教)と北方佛教(大乗仏教)に大別される。

2 埋葬の考古学的遺跡と人類にとっての宗教の意味

人類の祖先が親しいものを埋葬したとされる考古学上の最初の遺跡は、イラク北部のシャニダール遺跡であると推定されている。この遺跡の年代は紀元前6万年~3万5千年とされるが、埋葬の証拠は人骨の周りから発見された7種類の草花の花粉の存在である。人類以外の他の動物は自分の親や子供が死んでも、その死を悼んで埋葬したり、花を供えるといった行為はすることが出来ない。人間はこのような行為をすることが出来るが、我々はここに宗教の起源を見ることが出来るであろう。

身内や自分の死が宗教の起源に深くかかわっているとして、更に死後、亡くなった身内や自分はどうなるかについての想像が諸宗教の教義や儀礼に深く関わってくることになる。この場合、死後身体はどうなるかについての考え方に大別して2種類ある。

3 死後身体はどうなるかについての2種類の考え方。

死後自分の身体はどうなるかについて、砂漠地帯の人々とアジアンモンスーン地帯の人々では2種類の類型的相違点があると言える。つまり砂漠地帯では身体は乾燥してミイラになってしまうので。死後そのミイラがこの世あるいは天国などに復活するという考え方である。他方、アジアンモンスーン地帯では身体は消滅してしまうので、自分の魂(インドではアートマン)が、別の形態をとって(例えば地獄、餓鬼、畜生、人、天、修羅など)この世に再生する。(六道輪廻)(ここで注意しておきたいのは、輪廻転生の場合、天国に生まれることはそこで永遠に生き続けるのではなく、いつかは信でまた別の形態をとって再生するということである。これは復活の場合とは決定的に異なる考え方である。)

つまり、前者は復活であり後者は再生である。具体的な事例で言えば。ユダヤ教をはじめとするキリスト教、イスラム教などのセム系の宗教では自分の体がそのまま天国等に復活すると考えられている。(火葬の禁止)(火葬にすると天国に復活するときの身体が無くなってしまう)(イエス・キリストは磔刑死の後、墓場から死体が無くなって天国に復活したと信じられている。)

死後どうなるかという観点から見たそれぞれの宗教の信条イスラム教

天国に復活するためには6信5行が条件である。

  • 唯一絶対の神を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
  • ユダヤ教やキリスト教の影響を受けた唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる。アッラーはもともとアラビアの多神教の神々の中の一人であったが、ムハンマドがメッカを占領すると、他の多神教の神々の像は全て破壊され、アッラーだけを崇拝するようになった。
  • 経典 クルアーン アダム・ノア・モーセ・イエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言であるムハンマドが完全な形にした。
  • ハディース   ムハンマドの行動をスンナ(慣習)として尊び、クルアーンに次ぐ指針として、これらをまとめたもの教義
  • 六信  1 神  2 天使  3 啓典  4 使徒  5 来世 6 定命
  • 五行  1 信仰告白 2 礼拝 3 喜捨 4 断食 5 巡礼
  • 一体感 これらの信仰行為は礼拝であれば一日のうちの決まった時間、断食であれば一年のうちの決まった月(ラマダーン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、お互いの紐帯を確認し、共同体の一体感を高めている。その一体感の最高潮が巡礼(ハッジ)であり、一年のうちの決まった日に、聖地であるサウジアラビアのメッカですべての巡礼者が決まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼をする。
  • 偶像崇拝の禁止
  • 預言者ムハンマド  モーセやイエスも預言者として認めているが、イエスもムハンマドも同じ人間として考えている。イスラム歴の元年は622年にメディナにウンマができたヒジュラの年である。
  • 天国 信教を貫いたものだけが死後に永世を得るところ。男性は天国で七十二人の処女と関係を持つことができる、酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができる。

キリスト教

1)天地創造

2)エデンの園(天国)

3)アダムとイブの原罪

4)地上追放 老・病・死・貧困・労働は罰

5)キリストの聖母マリアからの処女生誕(神の子、イエス)

6)説法と奇蹟

7)十字架で死去、三日後に復活、昇天、(墓場から死体が無くなる)

8)  「栄光の座である父なる神の右に坐する

9)*キリストは再臨し、死者と生者を審判し(最後の審判)

10)  その後、永遠に支配する

11)*聖霊も神である、聖霊はイエスの地上での誕生に関係

12)*教会はイエスの地上での身体である

13)*洗礼により入信が確かめられる

14)信者は神の子であるイエス・キリストが人類の原罪をその血で贖ったこと、死後天国に復活したことを信じる。

4 仏教の場合

1 仏教成立以前の死後どうなるかについての3種類の見解。

     1)ヴェーダの宗教 アートマンの輪廻転生(常一主宰と定義されるアートマンが再生を繰り返す。(BAU)カースト制度の合理化。常見

     2)輪廻転生の否定

     3)不可知論

  • 六師外道
  • アジタ  地・水・火・風の四元素説 因果の否定 唯物論 道徳否定
  • パクダ  四元素と苦・楽・霊魂  道徳否定
  • プーラナ 善業楽果 悪業苦果を否定  道徳否定論 断見
  • ゴーサーラ 四元素と虚空・苦・楽・霊魂・得・失・生・死 )運命決定論・快楽主義
  • サンジャヤ 判断中止・不可知論・懐疑論
  • ニガンタ・ナータプッタ 不定主義・相対主義(ジャイナ教の開

        (1)四門出遊 老人、病人、死者、沙門を見て出城する。29才。

        (2)ウルヴェーラ(前正覚山)で苦行。

        (3)苦行では悟れないと思い、山を下りてスジャータの供養を受け、ピッパラ樹(菩提樹)の下で禅定に入る。

        (4)降魔成道

        (5)12縁起の順観と逆観

        (6)サールナートで初転法輪。苦楽中道、四諦八正道を五比丘に説く。

        (7)仏教教団の成立

        (8)45年間説法利生。

        (9)クシナガラにて入滅。

四諦八正道の意味すること

1)苦諦 一切皆苦  漢訳の苦の原語はduhkhaで、思い通りにならないという意味。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。一切が苦であると言われると、人生は苦ばかりであると考え、人生は苦ばかりではなく楽もあるではないかと一切皆苦という最初の真理に納得しない人もいるかもしれないが、思い通りにならないと言われると、生老病死等は正に思い通りにならないので、その通りであると納得する。

2)集諦 苦には苦の原因の集まりがあるという真理。例えば胃が痛いとき、痛みの原因は胃潰瘍とか、胃がんとか、食あたりとかがある。したがってこの胃の痛みを無くすには、薬を飲んだり、手術をしたりしてその痛みの原因を無くさなければならない。さらに胃潰瘍や胃がんになる間接的な原因として、不摂生やストレスがたまったといった原因があるから、此れも直さなければいけない。そしてもう一つ、不摂生をしたりストレスをためると胃潰瘍や胃がんになりやすいという知識が必要である。生老病死等の四苦八苦を乗り越えるには、病を治すようにはいかない。釈尊はこの原因の集まりを明確には説かれていない。しかし、説法を躊躇したのは、世間の人々は「我執と無明に覆われていて、説法しても理解されないであろう」と考えたからだといわれている。これを裏返せば、我執と無明が衆生を輪廻に縛り付けている原因であると考えられる。後に大乗仏教で人法二無我が説かれるが、これは悟りの重要な内容であると言えよう。

3)滅諦 苦の原因の集まりの滅による一切の苦の滅(涅槃)である。この境地は 一切の苦の滅であるから、大安楽(世間的な楽は全て条件付きで、無常である)また、一切の思い通りにならないことを超越したから大自在であると言われる。

4)道諦 苦の原因の集まりの断除は実践に依る。八正道とは正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

四諦と四法印との関係

 四法印は 諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静である。四諦との関係は以下の通り。

 四諦                   四法印

   苦諦 (果)               諸行無常(因)

   集諦 (因)               一切皆苦(果)

 滅諦 (果)               諸法無我(因)

   道諦 (因)                 涅槃寂静(果)

四法印は無常だから苦である。苦だから無我である。無我に成りきったところに寂滅の涅槃が現出すると解釈される。つまり。我の実体視が輪廻転生の原因であるから、我の実体視を離れればそこに寂滅為楽の涅槃が現成する。アビダルマ仏教では、人我の実体視(人執)を離れたが法我の実体視(法執)があった。そのため法の分析に終始し、衆生済度の利他行に向かわなかった。そこに一切衆生を済度するまで涅槃に趣かないとする大乗仏教の菩薩道が成立する。(不住涅槃)

縁起観  人と法の二無我は存在すると思われているものの存在を否定するから何もないと思われるが、何もないのではなく一切のものは縁によって生じていると説く、縁によって生じているからそれ自体では存在せず(無自性)、無自性だから空である。(竜樹の中観仏教)

仏教教団の成立。

釈尊は梵天勧請によって説法を開始したが、それを聞いて最初にその意味を理解したのがコンダンニャ(僑陳如)であった。そのとき釈尊は大変喜んだと言われる。それは自分の悟りは甚深微妙だから、理解してくれる者はいないと考えていたから、コンダンニャが理解したのが大変な喜びであったのであろう。コンダンニャに続いて他の四人の比丘たちも釈尊の説法の意味するところを理解した。そこでここに釈尊を含めて六人の比丘たちの仏教教団(僧伽)が成立した。この仏教教団の目指すところは生老病死等等の四苦八苦を超越して解脱涅槃の境地に至ることであり、この教団員である条件は仏法僧の三宝に帰依することである。その教団員の構成は四衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)後には七衆(沙弥、沙弥尼、式沙摩那)であり、戒、定、慧の三学、三十七道品、六度四摂法等を実践する。ちなみに、後の浄土往生信仰は現世で成仏できないから、来世に阿弥陀如来の極楽浄土に往生してそこで阿弥陀如来の説法を聞いて成仏を期待するという構図であり、これは二段階成仏論とでも言うべきものである。

大乗仏教興起の理由とその思想

1)ブッダの救済力への信仰 仏塔信仰

2)ブッダはなぜ」そのように偉大な救済力を獲得したか

3)ブッダの過去世における功徳(衆生救済)の積集 釈迦菩薩 ジャータカ(本生話)

4)菩薩思想無上正等正覚(阿耨多羅三藐三菩提)の獲得のために無限の菩薩行。六波羅蜜行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)四摂法(布施・愛語・利行・   同事)

5)自己の悟りのみを求めて修行する立場への批判(声聞・縁覚)--小さい乗り物

6)多くの人々を救済する大きい乗り物(大乗)

5ギリシャの宗教と悲劇と哲学

ギリシャ神話

世界創造神話 カオスからガイアを生んだ ガイアが天空の神(ウラノス)を生んで、この二人が夫婦になって動植物を生み、最初の神々を生んだ

日本神話(天地開闢説) 黄泉の国の神話 ゼウスの子孫であるデオニソスと地底人ティターンの死体を焼いてできた灰が混じり合ってできたのが人類で、輪廻転生する。吟遊詩人の創作。

多数のポリス(都市国家)にそれぞれ神殿・巫女・祖霊崇拝 神々は人間と同じように行動するアナクサゴラス(BC500~4289「理性が万物の原因である」不敬罪

自然哲学者

 タレス  水が万物の根源

 アナクシメネス  気息

 ピタゴラス     数

 ヘラクレイトス   火 「万物は流転する」

 パルメニデス   一 変化を否定

 アナクサゴラス  元素(スペルマタ)とヌース(理性)

 デモクリトス    原子

 エンペドクレス   火、水、土、空気 愛、憎

神託 ソクラテスの場合

ソクラテスはデルフォイの神託によって「ギリシャ第一の知者である」とされた。これに対してソクラテスはこの神託に反証しようとして、当時知者と言わていたソフィスト達に質問を投げかけ、その問答(ディアレクティケー)の過程で知者と言われていたソフィストたちが何も知らずむしろソクラテスが本当のことを知っていることが判明し、ソクラテスがむしろ知者(無知の知)であることが証明された。このディアレクティケーによる真理の追究が哲学の発生と考えられる。またソクラテスは人間の徳の最高のものを「善」と考えたがこれは道徳の哲学的位置づけであると言えよう。

神託のもたらす悲劇  『オイディプス王』(ソフォクレス)

ヘラクレイトス(BC535~475)

「世界は神が創ったものでもなければ、誰が創ったものでもない。世界とは、ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ燃え、 ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ消える…永遠に変化しつづける『生きる火』である。

「万物は流れ去る」(パンタ レイ)

国がある、人間がある、木がある、石がある……何百年も経てば、消え去ってしまう。

「すべては変化し続ける。 永遠に不変の存在など存在しない」

諸行無常…。

それこそが、「万物の絶対の法則」である。

「人間が、見ているものは、変化しているうちの一瞬にすぎない」のに、「人間は、その一瞬を固定的で不変的なものと見なしている」として、人間は愚かだと厳しく指摘する。

「上り坂も下り坂も、1本の同じ道である」

「生と死は同じである」

ソクラテスの来世観 (クリトンとの対話)

三つの可能性 1)無になる 2)過去の世界に行く 3)知らない世界に行く

6 西洋近世哲学

デカルト

フランス出身のルネ・デカルト(1596年~1650年)は近代哲学の祖「われ思う、ゆえにわれあり」デカルトと中世哲学は、学の普遍性という点において区別される。自然科学の急速な展開につれて、キリスト教の権威は次第に凋落し、もはや学の根拠をそこに求めることはできなくなった。「神が世界を創造し人間を創造した」とするキリスト教の教説が、キリスト教が信仰されている地域でしか通じないローカルな物語であることが自覚された時代において、いかに学を立て直すことができるか。これがデカルトの根本の動機方法的懐疑。物質と精神の二元論

カント

イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。彼が定めた超越論哲学の枠組みは、以後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼしている。

7 まとめ

人類の歴史において宗教(ヴェーダの宗教、キリスト教、イスラム教)と哲学と仏教についてその特徴の概観を試みた。そして宗教には生と死と、身体と霊魂に対する二種類の解釈があること、それに応じてそれらの宗教の教義や宗教生活が成立していること、これに対して、哲学は啓示や神託、預言(神の言葉を預かる)に依らず。人間理性によって世界や人間存在を解釈していること等を指摘した。しかし、ギリシャに始まる西洋哲学の系譜では宗教の目指す無常性の克服はふかのうであり、そこに哲学の限界があると言える。釈迦は無常性の克服を目指して出城し、難行苦行の後、大悟して解脱涅槃を体得し、無常性の克服の方法を説き、仏教教団を形成した。釈迦の死後、様々な変遷があったとはいえ、仏法僧の三宝帰依が仏教徒の条件であることは基本的に守られている。そしてこの方向性は如何なる時代の変遷の中にあっても堅持されていくものであると思う。

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