日本との交流史
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先覚ゆかりの寺院を訪問
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中国仏教協会代表団が来日する
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日中友好仏教協会から初の訪中団
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日中友好仏教協会が設立される
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日中仏教交流の再開
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日中国交正常化の実現
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真言宗豊山派親善使節団が中国を訪問
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臨済宗使節団が戦後初めて臨済祖塔に参拝
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天台宗訪中団が戦後初めて天台山へ
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共同声明に調印
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広済寺で日中合同法要
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日中両国で鑑真和上円寂の記念行事を行う
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初の日中合同法要
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中国から初の訪日代表団
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日中仏教交流 戦後五十年史
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全仏が趙副会長の歓迎会
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日本仏教使節団が戦後初めて中国を訪問
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趙朴初中国仏教協会副会長が初の来日
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禅宗の影響を受けた日本の茶室
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学誠会長は「中日仏教友好使者」の 則竹秀南長老ご一行と会見
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日本阿含宗和田尚子理事長ご一行来訪
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日本宗教の調和性
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仏教文化に浸る千年の古都~日本の奈良
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「空海記念苑密法帰華堂」落成、中日仏教文化を広げ
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中日仏教交流の架け橋-空海和尚
中国から初の訪日代表団
中国に新政府が誕生してから五年目一九五四年十月、まだ、日中両国の国交回復の見通しが立たぬさなか、中国から初の訪日団として、中国紅十字会訪日代表団が来日した。 これは日本赤十字社、日中友好協会、平和連絡会の三団体が、前年、北京で中国在留日本人帰国問題で中国側と交渉した際、中国紅十字会が、大変、協力してくれたので、その努力に感謝するため、三団体が政府の反対を押し切って招待したのである。
李徳全(中国紅十字会会長)、廖承志(同会顧問) 以下十人の代表団は十月三十日から二週間日本に滞在、東京、名古屋、京都、大阪、神戸の各地で、各界、諸団体の歓迎会、座談会などに出席、友好交流を重ねた。
李徳全団長一行は京都滞在中、十一月七日午後四時、東本願寺を訪れた。末広愛宗総長、菅原恵慶同事務局長ら、多数の出迎えを受け、阿弥陀堂、大師堂に参詣、そのあと、書院で大谷光暢法主と面会、日中仏教徒の交流について懇談した。
席上、李団長は「今後が、日中両国の仏教研究を促進するため、中国の文献や資料を大いに活用していただきたい」と日中の文化交流の必要性を強調した。
このあと、一行は西本願寺を訪問、藤音得宗務総長、森川智龍谷大学学長らの出迎えを受け、白書院で懇談した。
席上、森川学長から、「戦後、途絶えている日中間の仏教学術交流を再開することは、極めて大切なことであり、是非、実現するよう努力していただきたい」と要望があり、同大学から仏教学関係図書、雑誌など二十二冊が中国側に贈呈された。李団長はこの申し出を快諾、懇談会は和やかに終わった。一行は続いて御影堂、阿弥陀堂に参詣、飛雲閣を参観した。
訪日団が東西両本願寺を訪問の際、廖承志副団長から「中国浄土教発祥の聖地、玄中寺(山西省交城県)は、中国の最重要文物であり、政府によって、修復されることになった」ことが明らかになった。
日本浄土教の祖庭、玄中寺の消息については、戦後、全く、不明で戦争によって破壊されたという噂もあった。
玄中寺の存否に、長年、心を痛めていた菅原恵慶師(曇彎大師奉賛会会長)は「玄中寺修復の朗報は、中国から日本仏教徒にもたらされた最大の贈り物である。全く喜びに堪えない」と語っている。
『日中仏教交流 戦後五十年史』より