因果は三世を通じて……

因果は三世を通じて、善悪の報いが必ずある。報いがないということではない。
時機が今だ到来していないということ;苦痛はただ心境である。苦果の成熟時、自分の心が変わるなら、苦痛も減少し、ひいては消える。知恵のある人にとって、苦難は人生の財になり得る。肝心なことは自分がどのように応ずるかだ。

 

ある事柄は必ずやる、ある事柄はやってもやらなくても支障がない。ある事柄は他の人に頼むことができる、ある事柄はやる必然がない。このような選択は必ず起こり得る。そうしなければ疲弊する。皆さんは修行と自分の責任を対比させないでほしい。本来一体なのだから。もっとも肝心なことは発心なのだ。発心しなければ何人(なんびと)たりとも無理なのだ。やるべき事な真摯に、果敢にやるべきなのだ。

 

毎日進歩する。「今年は去年より」「今月は先月より」「今日は昨日より」「現世は前世より」。少しでも良くなる。生生世世増上、絶え間なく進歩し超越し成長する。

 

私たちは必ず仏教整体の行方の視点でいろんな仕事を考え、道次第の殊勝を認識する個人、団体と仏教整体の視点で考えることは不同の視点からである。どんなに仏法を広げようとも、個人の修行と混同して論ずることはできない。

 

仏教に対し発心すれば、功徳があるどの人も自分の縁起を持っており、強要することができない。例えば、この部屋の人は、それぞれ独自の思考を持っており、あなたは真似をすることはできない。

 

対立的な考え方を以って外部の不如意だけに注目しないでほしい。その中で何ができて、どのようにできたかを考え、さらに発奮する心を練磨することが肝腎なのだ。

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