「中国仏教の伝播と啓発」

——仏教におけるアジアの歴史と文化を描く

国際シンポジウムの開催式にて

中国仏教協会副会長 学 誠

2011年6月18日

「過去から現在にかけて、アジアの文化と悠久の歴史は、地球上に存在する私たち人間の、もはや半数以上の人間の共有する事実となった」(マーフィー・ローズの『アジア史』).この記述からアジア地域の歴史の悠久さと文明の複雑さを伺うことができます.しかし、そこから文化の推移――仏教文化   を発見することができます.仏教の広範囲な伝播はアジアの歴史において大いに貢献してきました.仏教がインドからアジア全体に伝わっていくプロセスの中で、中国の仏教は中枢的な役割を果たしてきました.中国の仏教はインド仏教の要諦を受け継ぎ、東アジア各国に伝え、仏教の再興をもたらし、後のアジア諸国に深遠な影響を与えたのです.

漢の明帝が仏法を求める使者をインドに派遣したことは、仏教が正式に中国に伝わる象徴的な出来事であります.地理環境、文化風俗がインドとはまったく異なる中国で仏教が深く根ざすことができたのは、歴史的な因縁があります.漢の時代では、儒教徒が天人感応を信じ、また陰陽五行説、讖緯(しんい)説、巫蠱(ふこ)などの方術も民間に氾濫し、社会に混乱をもたらしました.漢の時代の方術は迷信の色合いが濃く、功利主義の傾向があり、人々の宇宙の秘密を探求する要望と人生の意義を追求する願望には答えられず、道徳倫理の基本まで侵食されていました.そこで、論理的な思考に拠る、因果応報を重視する仏教思想は儒、道学説の欠陥を補い、社会発展の要求に合致したため、統治者の礼遇と支持を得ることができました.取経、訳経、釈経、授経などの活動の展開に従い、外来と本土の高僧の協力の下、仏教はやがて魏晋南北時代に社会広範囲の信仰を得られ、極めて大きな進展を遂げたのです.

隋唐の時代は中国仏教が発展の頂点に達し、当時の中国はすでに仏法の最も敬虔な国となり、最も熱情のある仏教の伝播者でもありました.敬虔たる者の魂の代表者は玄奘大師で、伝播者の魂の代表者は鑑真大和尚であります.この二人は中国仏教の"前を受け継ぐ時代"の終了、"後に啓発する時代"の始まりを告げました.玄奘大師は五万里という長い旅を歩き、インド各地を訪問し、さまざまな師を訪ね、インド仏教の各派の学説を研鑽し、造詣も深く、インド僧俗各界の尊敬を得ました.玄奘大師が帰国後、経典を翻訳することと弘揚することを志し、インドの仏教思想の精華――法相唯識宗を完全に中国に導入しました.これは仏教の中心地が東に移ったという意義を象徴しています.鑑真大和尚は中国の仏教の思想の結晶――唐の時代の律宗と隋の時代の天台宗を総じて日本に伝えました.鑑真大和尚が提唱されている梵網戒と天台教義は日本の仏教の個性の成り立ちに大きな影響を与えました.このふたりの大師の、仏法のためには命も惜しまないという精神は、後世の人々に強靭な意志と魂を残し、アジアの国々の平和共存と世代友好にも歴史的な貢献を果たしました.

宋の時代以降、本土宗派が正式に設立され、修学の体系も日々完備され、漢伝仏教は僧侶と官僚貴族の独占から、一般の庶民の日常生活に浸透し、「家々に阿弥陀、戸戸に観世音」と言われるほど社会全体に伝わりました.ある意味では、観音信仰は中国の仏教の独特な特徴であります.来世の極楽をもとめる阿弥陀仏の教えと違い、観音菩薩は人間を現実的な苦難から救い出し、衆生を導きます.数えきれないほど観音様の救済事跡を総括した『三十三の観音』は、観世音菩薩の大慈大悲精神の完璧な表現であります.菩薩は神秘的な存在ではなく、一般の人々の心のうちに生きています.今、観世音菩薩の中国化された人物像はすでに人々の心に深く根ざしていて、アジアの隅々まで浸透されています.観音信仰は「アジア人の半数の信仰」と謂われ、「人間仏教」を推し進む重要な原動力でもあります.

文化の進捗と時代性は、その文化が広く伝播されるかどうかが鍵を握っています.中国の仏教はなぜ東アジアの国々に広く伝わったのか.それは、単にインドの仏教を受け継いだだけではなく、仏教の伝統を創造的に発展させ、深化させたからであります."前を受け継ぎ、後を啓発する"というふたつの段階をうまく融合させ、"前を受け継ぐ"という段階では、仏教を学習し、吸収し、"後を啓発する"段階では、創造的に発展させ、伝播することです."前を受け継ぐ"ことは"後を啓発する"ことの前提条件で、"後を啓発する"ことは"前を受け継ぐ"ことの必然たる発展であります.

歴史を振り返りますと、中国の仏教は一貫して深遠たる豊かな中国文化の基盤に根ざし、健全な発展を遂げました.中国文化の大乗的な特徴があるからこそ、仏教の慈悲と智慧というふたつの精神は円満に発揚することができました.これは中国文化がアジア及び世界に大いに貢献できることであり、仏教が民族、文化の違いを超え、素晴らしい発展が遂げた成功事例でもあります.中国仏教の発展の歴史的な経緯は、仏教がグローバル化しつつ今日において、必ずや人々に深い啓発をもたらし、重要で指導的な役割を果すことができると確信しております.

仏陀の悟りと人類の福祉

——第八回「国連ウェーサクの日」の祝祭での挨拶

(2011年5月14日タイ・バンコク国連会議センター)

1950年以来、世界仏教徒の共同な努力のもと、仏陀のご誕生、ご成道、ご入滅の「三期を同時に祝う」を特徴とするウェーサクの日の祝祭は国と地域の境を超え、世界に向けて邁進しました.また、1999年に国連の承認を得られ、国連の日として確立されました.これは世界範囲において、仏陀の慈悲、知恵、円融の精神を拡げるために堅実な礎を作りました.

2004年の第1回「国連ウェーサクの日」の祝祭がタイのバンコクにて盛大に行われました.8年以来、「国連ウェーサクの日」を通して、世界の仏教徒は世界の人民と一緒に、世界平和の維持、持続発展の促進、公正、民主的な文明社会の建設、グローバル的な危機を乗り越える等重大な問題に、積極的な役割を発揮しました.今回の「国連ウェーサクの日」の祝祭は「仏教の社会経済発展への貢献」をテーマにして、仏教と世間の持ちつ持たれつの関係、世間を超越しながら、世間に参与し、世間の悩みをなくすという特徴を取り上げます.

長い農業文明の時代を後にして、人類社会は200年余り前に、日進月歩、盛んに発展している工業文明の時代に入りました.大規模的な生産と社会に商品が溢れていることを特徴とする工業文明は、人類に物質的な便利と裕福をもたらした一方、未曾有のチャレンジも人類に直面させました――地球の資源が迅速に消耗され、自然環境が厳しく汚染されました.世界経済の一体化に伴い、人類社会の公平と正義に関する問題は一つの国、一つの民族という制限をとっくに越えられ、世界各国、各民族がともに直面している課題となりました.経済が発展すること自体は諸問題をもたらした同時に、かえって経済の更なる発展のハードルにもなっています.

仏教は創設して以来、一貫として、人類と自然の関係について、人類と自身の関係について、超越な視点、寛大な心で扱っています.アメリカの有名な生態文学者エドワード・アビ―(1927-1989)は、「成長のための成長はガン細胞の増殖とかわらない」と記しました.発展すること自体は問題ではなく、人類の必要とする発展方向を明確にすることは肝心なことであります.それに、この発展のプロセスの中、いかに発展すること自体が本来の目的を背けないことは重要であります.ブッダの悟りは人類に莫大な福祉をもたらすことができました.人類に極めて貴重な精神的な宝を残してくださいました.「依正不二」、「自他不二」はその中にもっとも傑出な代表的なものであります.「依正不二」、つまり、人類は大自然の環境の中に身をおかれていて、大自然とは対立しているわけではありません.大自然への破壊は人類自身も影響されてしまいます.大自然を守れば、人類自分自身も守られます.「自他不二」、国と民族の発展は人類という大家庭の環境の中におけば、国と国、民族と民族の対立がなくなります.人類全体も家族と同じようになり、あらゆるの有情が繋がっているように考え、動物などの有情への傷害はかならず人類自身にも及ぼします.他の有情への愛護は人類自身への愛護と等しいです.この「不二法門」の啓発に従えば、人類が「成長のための成長」というジレンマーに陥れないようにできます.人類社会の発展も穏健、幸福、輝く道を歩むことができます.

世界経済のグローバル化の発展につれ、人類の運命は緊密に連携するようになりました.この時代の流れに乗って、世界仏教徒はもっと団結一致するべきで、仏陀の恩徳を浴しながら、仏陀の「慈悲済世」の精神をもっと広く発揚するべきであります.疑い事も無く、第八回「国連ウェーサクの日」の祝祭を行うことによって、世界仏教徒はこの方面において、大きな一歩を前に邁進することができます.タイ政府とマハチュラロンコーン大学の弛まぬ努力に衷心より敬意を申し上げます.重ねて、ブミボン国王の84才の誕生も衷心より祝福の意を申し上げます.タイの国民に深く尊敬されているブミボン国王は福寿無彊できるようにお祈り申し上げます.

最後に、本大会が円満な成功を収めるよう祈念し、私の挨拶と致します.

黄金の絆

——趙僕初居士

趙樸初居士は、1907年11月5日に安徽省太湖県に生まれました.若いころは、蘇州の東呉大学で勉強しました.1928年から上海江浙仏教連合会の秘書、上海仏教協会の秘書、「仏教浄業社」社長等の職を歴任しました.1938年から、上海文化界救亡協会理事、中国仏教協会秘書•主任秘書、上海慈連救済戦区難民委員会常務委員兼収容主任、上海浄業浮浪児童教養院副院長等の職を歴任しました.1953年から、中国仏教協会副会長兼秘書長、中国作家協会理事、中日友好協会副会長等の職を歴任しました.1980年から中国仏教協会会長、中国仏教学院院長、中国チベット語高級仏教学院顧問、中国宗教平和委員会主席、中国書道家協会副主席などの職を歴任しました.

趙先生はまた、第一、二、三、四、五回の全国人民大会代表でありました.愛国宗教界の代表として、中国人民政治協商会議の第一回全体会議に参加しました.第一、二、三回の全国政治協商委員会委員を歴任し、第四、五回全国政治協商会議常務委員であり、第六、七、八回の全国政治協商会議の副主席を歴任しました.

趙先生は中華人民共和国が成立して以来、中国仏教界の主要指導者であります.半世紀にわたり、趙先生は終始一貫して、仏教の中国現代社会との適応化を模索してきました.仏教はどのように「愛国と愛教」の道で調和できるか、仏教はどのように現代社会に役に立つかというテーマを巡って考えてきました.何十年以来、趙先生は中国仏教界をリードして、政府の宗教の信仰自由政策の着実な実行、僧侶管理制度の健全化、仏教の国際交流などの方面に極めて重要な貢献を果たしました.趙先生は中国共産党および中国政府と肝胆相照らし、栄辱を共にする友であり、中国の広い範囲の信者達に尊崇されている指導者でもあります.また、趙先生は高く評価されている社会活動家、詩人、作家でもあります.

2000年5月21日に、趙先生は享年93歳で逝去しました.趙先生は晩年、体が弱く、多病だったにもかかわらず、慈善事業に熱意を持って、よく自然災害被災地に救済募金活動を行いました.自分の原稿料と一生の蓄えを全部慈善事業に使用しました.生前、自分の遺体を医学機関に献体するようにという遺言を書きました.また、死後、遺灰も残さない、骨壷も要らないと希望しました.「生固欣然、死亦無憾.花落還開、水流不断.我兮何有、誰与安息.明月清風、不労尋筧」という四言詩も書いて、仏教徒としての死生観を表しました.

中日仏教文化交流の架け橋を再び作り、両国民間外交を促進

1952年、北京で開かれた「アジアおよび太平洋地域の平和会議」の際、 趙樸初先生は中国仏教界を代表して、日本の仏教界に薬師如来仏の仏像を贈与しました.これは日本の仏教界の友好人士の間で、大きな反響を引き起こしました.

1953年初め、日本の仏教界の友好人士が連名で、中国仏教協会に返信しました.書簡の中に、中国人民に厳しい災難を及ばした侵略戦争を阻止できなかったことに懺悔し、また、両国の仏教界の友好関係を再び結びつけることを強く希望するとの内容がありました.

1955年に、日本で開かれた原水爆禁止世界大会に趙樸初先生が出席しました.その後、1957年に再び会議に出席しました.趙樸初先生および中国の代表は会議に参加するという機会を利用して、日本の仏教界の人士と広く交流しました.

「文革(文化大革命)」後、趙樸初先生と中国仏教協会は積極的に日本との仏教文化交流を展開し、両国人民の理解と友情をさらに深めました.

 1978年4月、趙樸初先生を団長とする中国仏教協会訪問団は日本に3週間にわたる訪問をしました.これは「文革」後中国仏教協会の初めての日本訪問であり、空前の成功を収めました.

「黄金の絆」再び取り上げ、東アジアの仏教文化交流を推進

1993年趙樸初会長を団長とする中国仏教協会代表団は、日本側における中国仏教協会設立40周年記念活動に参加するため、日本訪問しました.韓国の仏教界の代表も会議に出席しました.趙樸初先生は挨拶に、「中、日、韓三国の仏教文化は私たちの三国国民の黄金の絆であり、この絆を大切に守り、引き続き発展させなければなりません.」と述べました.趙樸初先生のこの三国仏教の「黄金の絆」という比喩と三国仏教の友好交流を発展させる構想は、直ちに韓国と日本の友人に賛同と共鳴を得ました.三国の仏教界の代表がともに相談し、準備し、「中、韓、日仏教友好交流会議」は1955年5月22日に北京にて成功裏に開かれました.

深層での文化交流の促進に仏教が果たす重要な役割

歴史の歯車は文明時代に入ってもう五千年ほどになります.このような長くまた短い人類文明史を振り返ると、人類三大文明の体系は今でも世界の発展メカニズムに深い影響を与えていると見ることができるでしょう.古代ギリシア——ローマ文化に基づく西洋文明体系、儒教——道教文化に基づく中華文明体系とバラモン教——仏教文化に基づくインド文明体系とが、世界三大文明体系と呼ばれています.その中で、インド文明体系はアジア大陸とヨーロッパ大陸の間に位置しており、またその文化には内包し融合する特徴があるので、中華文明と西洋文明が解け合うために重要な連結作用を発揮することができます.

まずは宗教の連結作用です.西アジアから発したキリスト教とイスラム教は、古代ギリシア——ローマ文化の特徴を吸収した後、西洋宗教の代表になりました.西洋宗教の決定的な特徴は一神教であることです.一神教の世界では、神はすべての宇宙および人類を創造しました.人類は神の制定した法律に従うときにだけ、自分の名誉、慰め、満足を見付けられます.にもかからず、人は神になれない、人と神の間で永遠に超えられないギャップが存在しています.また東アジアから発した儒教と道教は、儒家と道家文化の特徴を吸収した後、東洋宗教の代表となりました.西洋の一神教とは対照に、東洋宗教の決定的な特徴は無神教です.無神教の世界では、宇宙万物を創造して統治する神が存在せず、宇宙万物を生み出すことも運行することも、最も基本的な法則、つまり最高の「道」に従っています.人は身を修めることによって、道を悟った聖人となり、天地万物と合わさって一体となります.南アジアから発したバラモン教は、仏教とジャイナ教の教義を吸収して、しかもインド民間の信仰に基づいて、さらに今のインド教になっています.インド教には西洋宗教と通じ合うところもあるし、東洋宗教と同じところもあります.西洋宗教と通じ合うところは、インド教も世界および人類を創造した神が存在することを認めることであり、この神は「梵天」と呼ばれます.東洋宗教と同じところは、インド教でも宇宙の本体は「梵」と考えます.人は修行を通して、「梵我一如」というような境地を達成し、解脱することができます.仏教も「梵天」などの普通の人を超えた能力をもっている神の存在を認めており、そしてそのような受け入れられた神は、仏教の守護神になります.しかし、神は宇宙の創造者ではなく、神も宇宙の法則に支配されます.その一方、人間は修行を通じて神になれるだけでなく、宇宙の法則を洞察することで、神を超越する聖人になることができます.

次は哲学での紐帯作用です.西洋の哲学体系は、古代ギリシア——ローマの哲学に基づいて、知性的な理性の追求を強調し、次第に自然哲学と民主政治の二つの領域へと発展していきました.自然哲学は自然を理解することと、神様に接近すること強調します.民主政治は公平、公正な人類社会の樹立を望みます.東洋の哲学体系は、儒家——道家に基づいて、道徳的に直感的な認識を強調し、次第に修身哲学と論理政治の二つの領域へと発展していきました.修身の哲学は自分と大道を認識することを望みますが、論理の政治は安定、秩序がある人類社会の樹立を追求します.インド教——仏教の哲学はインド哲学体系を決定的に代表するものです.この哲学体系が、東洋と西洋の哲学体系の両方といくらかの共通の特徴を持っていることは容易に分かると思います.インド哲学が持っている論争の精神は、西洋哲学より勝るとも劣りませんが、さらに百家争鳴のようなさまざまな哲学流派になりました.インド哲学は認識の特徴の方を偏重しており、中国哲学とは異曲同工であるように感じられます.そのためにインドでも中国でも、仏門に入って修行するのはありふれたことではなく、人を尊敬させる一つの生活様式です.

総じて、東洋と西洋の文化は自身を生み出した地域の文化背景の相違によって著しい差異を現わしてきました.それを両方の文化に融合することは困難でした.一番典型的な例として、西洋のキリスト教が中国に伝わってくる際のその過程の辛苦に過ぎるものはありません.

実は、唐の時代からキリスト教が中国に現れましたが、わが国の信仰する物とは大きいな差異がありましたので、社会の主流に融合することはなかなかできませんでした.いまだに人達はまだそれを西洋教と見なすことに慣れています.また、前世紀の始まりに、新文化運動が起こるに伴って科学と民主は西洋文化の主要な内容として中国に進出してきました.それからほぼ百年も経ちましたが、表面的には科学技術は中国の地で応用されるようになり、あちらこちらで出現したり普及し発展したりし、先進的な生産力が社会を前進させましたが、それはまだ工程と技術の段階に限ったものでした.

真の科学精神と基礎理論への探究では、中国と西洋にはまだ大きな差異があります.その次にくるのは、民主的な考えです.実践を通じて証明されたのは、西洋の民主的なモデルが中国の現実社会には適合できなかったことです.国情や文化特徴の独特さのために、中国には西洋の民主政治をそのまま用いることはできないと決しましたから、自分の特徴に相応しい社会制度に辿り着かなければなりません.しかし法治の意識を培養するのは一刻を争う時代の要求であります.歴史や現状がはっきりと示しているのは、中国の文化と西洋の文化がもっと深く融合するのが歴史の必然であることである以上、それは時代の要求でもあります.

五千年余り以上の人類の文化史を振り返る時、ある大事件が名も実も歴史に残すに至りました.それはインドに生み出された仏教です.約二千年前に中華に伝わってきて中国の社会に大成功裡に融合し、その名に恥じず、中華文化の三つの主流の一部になりました.それだけでなく、千年以上を経た昔、中華文化を始点にして仏教はさらに日本、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシアなど、東アジアおよび東南アジアの諸国にまで進出しました、そのために、仏教は名実相適った世界宗教になりました.その価値の通りに、前世紀の初め、仏教は勢い盛んな生命力と独特な適応の能力のお陰で、欧米などの西洋の諸国に広がって伝えられました.ますます多くの西洋人達がこれを好み、イギリスの名高い歴史家であるトインビー博士は「二十世紀に人類が迎えた最も大きな事件の一つは、仏教を西洋に伝えた事だ」と考えていました.その事件が重要だと言われた理由は、それが、中華文化と西洋文化が深く融合する現実的な可能性を提供していたからです.

実のところ、もうそれはある単なる可能性だけにとどまらず、既に現実になっている、あるいは現実になりました.みなさんご存じの通り、仏教は紀元前の6世紀にインドに生み出され、バラモン教をもう散り散りにしてしまいました.仏教は勢い盛んな数百年の後、かえって8世紀にインド教(新たなバラモン教と言うべきもの)が現れて盛んになったときには新鮮な血液を輸入して、インドの文化を再生させて延長させました.その間、仏教はスリランカ、ミャンマー、カンボジアなどの南アジア諸国に伝わり、そしてその本国の主要文化の形になりました.西暦元年ぐらいの時、仏教は中国に伝わってきて、その後の五、六百年の間に、仏教は中国本国の文化と十分に結びつき、融けあって、結局唐代には仏教文化だけがあるほど盛んになりました.仏教文化が繁栄すると、かえって中国本国の文化が新たになるのを促進しました.具体的に言えば、儒教文化の理論的な含意を充実させたのです.それは、未来の中国の主流社会に影響する宋代、明代の理学になりました.同時に、道教を外丹学から内丹学へと変化させました.紀元6世紀仏教が日本に伝わり、同じように、紀元7世紀わが国のチベットに伝わってきたようです.仏教は日本の神道信仰と結合して、明らかに違った特徴がある日本仏教になり、チベットのボン教と結合して、独特な特徴を有するチベット仏教になりました.仏教が東アジアに伝わってきたのに伴って、印中文化と日中文化の間の交流も非常に速い進展を要しました.仏教は違う国と違う民族とを繋ぐ友情の橋になりました.

異なる文化の間であっても、ともに原因を見つける限り融合の可能性に向かって歩くことができます.仏教は一貫して個人の命を高めることと覚悟することを重視し、および団体生活の結構と秩序にまで至ります.

中華文化と融合してから、二つ特質の両方ともはっきりと積極的な作用を発揮しました.この百年以来、西洋文化が全面的に東洋社会に浸透したことに伴って、仏教の方もひっそりと西洋社会に入り込んでいきました.中華文化に適応するときの特徴と異なり、仏教は表の物質の世界を認識するときに深い洞察力を現し、公平で公正な理想社会を築くため、民主制度を高く重視しました.それを西洋社会に適応させる時、文化には妨げが存在しないのみならず、更にそれが完璧に融合できる精神的な特質を現しました.

実のところ、仏教はいま、勢い盛んな生命力で、欧米などの西洋の諸国に根を張っており、本国のキリスト教の文化と対話する中で、新たな融合に向かって歩んでいます.東洋と西洋の文化が深層で交流するのを促進する中、仏教がますます重要な役割を発揮することが予想されます.

中日韓仏教友好交流歴史

作者:中国佛教网站

时间:2008-10-24

仏教は外部伝来の宗教で、中国の本土文化と融合し、中国での仏教は中国特色を持つ(漢語系仏教)漢語系仏教とチ ベット(語系仏教)密教からなっています.上述した二種仏教の総本山は中国にあり、また世界各国に伝わっています.現在世界各地で流行している仏教は使用 言語が異なっていても、宗派から見ると漢語系仏教、チベット語系仏教あるいはパーリ語系仏教に属しています.中国は漢語系仏教とチベット密教の発祥地とし て、世界仏教界で重要な役割を果たしています.中国は仏教の第二故郷と呼ばれてい.

紀元3世紀末、漢語系仏教が朝鮮半島に伝わり、秦王苻坚は高句麗国に仏像と経巻を贈りました.これは公式の外交行 事なので、これは仏教が朝鮮へ伝わる印と認められています.当時の朝鮮半島は三つの国―高句麗、百済、新羅からなっています.高句麗は中国の東北地方と境 を接し、仏教はまず高句麗に伝わり、また百済へ、100年あまりを経て、新羅へ伝わり、あの時の朝鮮半島はほぼ全体仏教の影響を受けていました.百済に伝 わった仏教は胡僧の摩羅難陀が持って行ったが、しかし、漢語系仏教に属し、使用した経典は鳩摩羅什が翻訳したものであります.  

漢語系仏教は約紀元6世紀の初めに日本に伝わり、これは司馬達等が大和国で草堂を結び、本尊を安置し帰依礼拝する ことを初めとします.現在多数の学者は仏教を日本へ伝える時期は紀元6世紀の前と考え、しかし、正史では紀元538年と公認されています.当時の百済国の 聖明王は日本の欽明天皇に釈迦如来の金銅像と経典、幡などを進貢したので、よって、漢語系仏教の伝播ルートは中国―朝鮮半島―日本列島であります.中日韓 三国は違う国、違う民族だが、同じ法脈を受け継ぎ、特殊な関係を持つようになりました.千年を渡り、中国と朝鮮半島、日本列島の仏教徒と頻繁に交流し、深 い友情を築きました.

中国と韓国は国交回復が遅いので、中韓仏教界の交流の始まりも遅くなったのです.1990年8月、中国仏教協会は 正式に韓国仏教宗団協議会徐義玄会長の訪中を招待し、これは中韓国交回復前の民間仏教界の交流であります.1990年10月、中国仏教協会の明揚副会長を 初めとする代表団は漢城で行った第十七回世界仏教徒連盟に参加し、韓国の仏教界に熱烈な歓迎をうけました.1992年に中韓国交回復後、両国仏教界の交流 は盛んになり、毎年何回も重要な交流を行うことになりました.

中国仏教界と日本仏教界の関係は第二次世界大戦で傷つけられたが、中国建国以来宗教界の交流が多くになり、 1974年「日中友好仏教協会」などのような友好組織を成立しました.1980年4月、日本の唐招提寺で祭られた、千年余り歴史を持つ中国唐代高僧鑑真彫 刻像が中国に持ち帰り、展示会を行いました.今回の民間活動が重要な意義を持ち、宗教活動の範囲を超え、両国の国交正常化にも積極的な要素として、重要な 役割を果たしました.日本仏教各宗派の総本山は中国にあり、中国仏教協会は日本仏教と深い関係を持っている山西玄中寺、天台山国清寺、西安香積寺などに投 資し、修繕しました.日本高僧は中国に留学し、仏教を学んだことのある寺院が保護され、中には、日本高僧記念堂を建てられた寺院もあります.例をあげる と、広東肇慶慶雲寺の栄叡記念碑、寧端天童寺の道禅師縁法霊蹟碑、国清寺天台祖師の顕彰碑、西安青龍寺恵果、空海記念堂、山西玄中寺大谷莹潤顕彰碑など.

20世紀90年代、中国仏教協会の趙朴初会長は初めて中国、韓国、日本三国仏教の「黄金の絆」という構想を提出しました.「黄金の絆」という比喩で三国仏教界の友好交流の関係を適切に表しています.

1993年に中国仏教協会の趙朴初会長は中国仏教協会代表団を率いて、日本仏教協会の主催で京都で行った中国仏教 協会成立四十周年記念活動に参加し、当時に韓国仏教界の指導者も在席したことを考慮し、趙朴初会長が中日韓三国仏教界の友好交流は長い歴史を持ち、「黄金 の絆」如くと挨拶しました.この比喩のおかげで、三国仏教界にさらに友好関係を築こうという考えを芽生えました.趙朴初会長は会議の開幕式に「地理的環境 では、われわれ三国は隣国であり、文化風俗では、われわれ同じ源に属し、宗教信仰では、われわれは同じ法脈を持っています.数多くの絆でわれわれを結びつ けて、切り離せられないのです.その多くの絆の中で、ある絆は最も長い歴史を持ち、いまでも輝いているのはわれわれの共同の信仰―仏教であります.それに 適切な名をつけると「黄金の絆」となります.歴史を振り返て見ると、仏教は中日韓三国国民の文化交流の中で大いに仲介役を果たしてきました.」と述べまし た.さらに、先生は当時の世界状況を踏まえ、次のように将来への希望も話しました.「三国仏教徒はこれから遠い昔から伝わってきた三国友好交流の伝統を継 承し、さらに高揚することを期待し、この黄金の絆で多くの国家と民族を結びさせ、アジアの繁栄と安定のために、人類の平和と幸福のために、努力を続け、成 果を挙げましょう.」

1995年5月22日、第一回中・韓・日三国友好交流会議は北京国際 会議中心で行いました.今回の会議は中・韓・日三国仏教界がお互い友好的に交流し、三国関係を深め、アジアと世界平和を維持するには重大の意義がありま す.会議は「北京宣言」を発表し、宣言には「会議は周知の半世紀前のあの戦争が中国、韓国人民に災難を与えたと回顧した」という内容を盛り込まれ、これは 日本が中国、韓国に対する侵略戦争について述べたものでります.三国仏教界はその共同認識の下で、仏教徒は警戒を高め、公理性を守り、正義を広めることに よって、歴史の悲劇を繰り返さないようと指摘しました.会議は中日韓三国仏教交流大会は今後三国で交替で行い、毎年一回と定めました.1996年に韓国で 第二回大会が開かれ、会議は「漢城宣言」を発表しました.1997年に日本で行われた第三回大会で、「京都宣言」を発表しました.今度の両会議は人類に共 に直面している戦争、環境保護、人心浄化、道徳、教育などの諸問題を主題として取り上げました.三国仏教界は世界平和を祈祷し、仏教の慈悲精神を表しまし た.毎回の大会で何千人も参加し、規模が大きく、国際社会で大きな反響を及ぼしました.中日韓三国指導者も三国仏教界の「黄金の絆」の活動は重大な意義と 大きな影響力を持っていると高く評価しました.1995年、当時の中国国家出席である江沢民氏が三国仏教界の指導者と面会し、李鵬総理(当時)がお祝いの メッセージを送りました.韓国会議の時、韓国の李寿成総理(当時)が三国仏教界の人士と会見しました.京都会議の時、日本の竹下登首相(当時)が開幕式に 出席し、お祝いの挨拶をしました.

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