世界的な危機を解決する上で仏教が根本的な活路を見出す働きを持つ

2015年5月28日、第12回「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会はタイで盛大に開催され、中国仏教協会会長の学誠法師が今回の大会に出席し、重要なスピーチを発表しました。学誠法師はスピーチの中で以下のように話しました。

今回の大会のテーマは「仏教と世界的危機」です。そこで世界的な危機を仏教がどのように解消するか、その慈悲と知恵についてはっきり示しました。

また学誠法師はこう強調しました。「我執は世界的危機の根源であり、我執を認識し克服することが世界的な危機を解消し、世界平和と調和を実現する根本的な道である。仏教は将来的に全世界的な新文明の形態の形成に必ず積極的な働きをもたらし、世界的な危機を解決する上で根本的な活路を見出す働きがある。」と。

以下は学誠法師のスピーチ全文です。

まず、私は中国仏教代表団を代表し、第12回「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会が高い名声のあるマハチュラロンコーン大学で三日間開催されることに熱烈な祝賀の意を表します!今回の大会は、タイ王室政府とタイのサンガ委員会の多大なる支援を得て、マハチュラロンコーン大学主催により、世界中80あまりの国と地区から1,000人あまりの仏教代表者が参加しました。大会のテーマは「仏教と世界的危機」であり、仏教がどのように世界的な危機を解消するか、その慈悲と知恵についてはっきり示しました。

今日、全人類が共に直面している世界的危機により、人類はすでに緊密に繋がり1つの運命共同体になっております。もっと早くこの点を意識していれば、人類はお互いに更に協力し合うことで危機に向かい合うことができ、危機を深刻化せずにすみました。このような世界的危機には以下内容が含まれます。

1.長い間、人間が生存環境に対し無制限に行ってきた略奪的な採掘と無節制な廃棄物の放出による生態系の危機
2.資源不足と生存発展の必要性からの2つの圧力下で生まれた戦争の危機
3.物質的発展の過度の追及から陥った信仰の危機。

この世界三大危機の形成には深刻な歴史的根源があります。先ず地理的大発見、文芸復興、宗教改革による現代文明の序幕が開き、現代文明の根本的な二大特徴を形成しました。つまり人間の個性的解放と自由の強調、科学技術の発展と応用です。本来これらは現代文明が過去の文明より発達していることを示すものですが、個性的な解放と自由が、拘束を受けない個人と集団の欲望の膨張に一旦変わってしまうと、迅速に発展する科学技術力の力を得ながら世界的な災難を醸成し、人間自身をさらに一層苦しめる深淵に推しやってしまいます。まずは一つの地区、一つの国から起こり、それから世界的な自然環境の悪化を形成していきます。先ずは二つの国からおこり、それから多国間で、更に世界規模の戦争を形成していきます。これが最高の証しです。人間が追求し信奉してきたものが更に深刻な災難と苦痛をもたらしている時、更に深いレベルで信仰の危機が起こっているのです。

危機が発生する根源は、外側ではなく内側にあります。生態の危機が発生する根源は人間の内側にある貪欲さから、戦争の危機が発生する根源は人間の内側にある怨恨から、信仰の危機が発生する根源は人間の内側にある愚かさにあります。貪欲、怨恨、愚かさの総根源は人間の内側にある我執にあります。人間の内側にある我執とは現代文明の中に見られる人間中心主義、民族中心主義など様々な人間中心主義のことです。

人間中心主義とは、我執が人間全体の集団の中に広がることから起こる、人類自体が世界の中心であるという誤った認識を指します。つまり他の動物、植物ないし全ての生存環境は人類が生存するために意味があり、それら全ては人類のために奉仕するべきものなので、よって人類はこれらすべてを心置きなく享受できるという誤った認識のことです。

民族中心主義とは、我執が自己の所属する民族全体に広まり、自己が所属する民族が一番優秀かつ最も高等であり、他の民族はマイナーで下等な民族なので、それらは全て自分が所属する民族への奉仕の為に存在するという誤った認識のことです。

人類中心主義は、人類が自然から無節制に搾取する為の合理的な支柱となり、人間の貪欲さを助長しました。その結果、最も深刻な生態危機を招きました。民族中心主義は、他の民族を恣意的に侵略する合法的な支柱となり、人間の怨恨を助長しました。その結果、最も深刻な戦争危機を誘発しました。これらさまざまな中心主義が点検や認識を得られないまま、ますます深みにはまっている時、人間は自己を見失い環境や他人を傷つけながら、自分自身をも苦痛の深淵に追いやっているのです。

我執とは世界的危機の根源ですから、我執を認識し克服することが世界的危機を解消し、世界平和と調和を実現する根本的な道となります。これは非常に難しく長い道のりです。これを実現するために、お釈迦様は出家修行の道を選び遂に我執を克服することで無我の境地を得ました。そこから危機を解消する知恵と力を会得しました。悟られたお釈迦様は普通の生活にもどり、人々に熱心に教え諭す時、危機を解消する道を告げてくださいました。具体的に言うとそれは平等、尊重、慈悲、貢献でございます。お釈迦様が『金剛経』の中でこう説かれています。「法は平等で、上下に関係なし」と。これはつまり万事万物が平等であるという本質をはっきりと示しています。人類と環境の関係、民族と民族の関係、自己と他人の関係が平等であるという本質を認識すれば、様々な中心主義に対して効果的に対処できるようになります。相手を尊重する態度で人類が生存する為にある環境に向き合うことができ、相手を尊重する態度で他の民族と個人に対応できるようになります。それだけではなく、お釈迦様は人々に更にこう諭しました。慈悲の心をもって全ての衆生に向かい合い、自分が疲れを知らず奉仕することで生命の意義と価値を現し、生命の尊厳とその神聖さを成就することができると。お釈迦様は『大般若経』の中でこう説かれています。「悟りを求める衆生、偉大なる衆生は一切のものについて完全に知る心を発し、大いなる慈悲の心を一番上に置き、何も持たないことを手段とすべし。」と。

世界的危機を解消するには、人類全体が力を合わせ努力することに頼るだけではなく、人類全体が共に受け入れ、かつ人類全体を前進させる文化的価値観および宗教の信仰をリードする先達者が必要です。このような文化的価値観と宗教の信仰は、ある特定の文化と宗教だけが保持するものではなく、人類各々が持つ大なり小なりの文化と宗教に共通するものです。それはまたそれぞれの大きな文化や教派を超越するものでなければなりません。このような文化的価値と宗教の信仰とは、それぞれの大きな文化やそれぞれの宗教同士での深いレベルの対話に基づくことが必要であり、お互いの長所短所の相互補完していくことで、次第に形成されていきます。仏教は誕生した日から常に開放的、包容性を以て各種文化または各種宗教と対話し続け、それを通じて自覚的に自我を充実し自我を超越してきました。よって仏教は1つの文化と宗教の体系を構築する上で重要な役割を担うことができます。 

中国の仏教は、伝播と発展の過程で中国語系仏教、チベット語系仏教、パーリ語系仏教が形成されました。これらは全て自らそれぞれの役目を果たし、人類文明の変遷にも重要な役割を発揮してきました。過去の200年間において仏教は西洋社会に入り始め、西洋宗教および科学技術文明との対話を通じて、次第に西洋社会において積極的に深い影響を与えるようになりました。現代文明は全世界的な特徴を持ち合わせているので、将来の全世界的な新文明の形態を形成する上で、仏教が必ずや積極的な役割を発揮し、そして世界的な危機を解決する上で根本的な活路を見出せると私たちは信じております。

この十数年来、「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会が費やした勤勉な努力は、仏教を現代文明の体系に積極的に融合させ整える上で重要な貢献を果たしてきました!我々は今回の大会が大きな成功を収めることを心よりお祈りいたします。 ご清聴ありがとうございました!

以上

「国連ウェーサーカ祭」の精神

尊敬する大会主席、ご出席の皆様

皆様がウェーサーカ祭ご滞在中、順調出来るようにお祈り申し上げます。 まず、ベトナム政府並びにベトナム仏教僧伽会の暖かいご招聘に心からお礼を申し上げます。「百花春城」と呼ばれるほどの美しい都市――ハノイで、中国仏教協会がみんなと一堂し、共に仏暦2552年の国連ウェーサーカ祭を祝い、「公正·民主·文明社会の建設に貢献する仏教」という重要な現実的意義を持つ、深遠たる歴史影響を与える大会のテーマについて一緒に討論でき、光栄に思います。  

ウェーサーカ祭は、古インド歴のウェーサーカ(インド暦第二の月)の満月の日を源とし、西暦五月の満月の日に当たり、南伝仏教の国々がお釈迦様の誕生・成道・入滅を記念する伝統的な祭日です。

1950年、スリランカコロンボで行われた世界仏教徒親睦会の第一回会議で、お釈迦様は紀元前623年で誕生、紀元前588年で成道、また紀元前543で涅槃したことを確定し、そして誕生・成道・涅槃の日もすべて五月の満月の日である意見が一致された。また三大仏事を同時に祝う祝日を「ウェーサーカ祭」と名づけ、またウェーサーカ祭を休日にするように各国の政府に請願したことで、大いなる釋迦様を記念します。1999年、第54回国連大会で、16国の代表によって署名された文書の中に、ウェーサーカ祭は国際的に認識されるべきという願望を伝えた。また、「お釈迦様の教えと彼の慈悲・平和・善良が世界中の人々を感動させ、世間無数の人がお釈迦様の教えに従い、ウェーサーカ祭でお釈迦様の誕生・成道・涅槃を記念する」と文書の中で指摘しました。同年、ギリシア、ノルウェー、トルコ、アメリカもその提案に賛成しました。1999年12月、国連大会でその提案が受け入れられて、ウェーサーカ祭を国連日(United Nations Day of Vesak,UNDV)として正式に確定されました。お釈迦様が自覚・覚他・実践も円満で、智慧の光が世界に照らしています。お釈迦様の慈悲平等の教義を発揚するため、世界平和を唱道するため、毎年全世界でウェーサーカ祭を祝うように呼びかけました。

中国では、チベット語系・バーリ語系の仏教徒も毎年五月の満月の日をお釈迦様の誕生・悟り・入滅の記念日にしています。仏教徒同士間の友情とつながりを強めるため、中国仏教協会の趙朴初会長は、「中国仏教界は毎年五月の満月の日のウェーサーカ祭を仏の吉祥日に指定しました。中国の漢伝仏教に属する各寺は旧暦の四月八日の伝統的な灌仏会の他に、皆この日でウェーサーカ祭を全世界の仏教徒と一緒に祝う」と提案しました。中国仏教協会は2004年から毎回タイで行われた「国連ウェーサーカ祭」に代表団を派遣しました。世界各国の仏教徒と一緒にお釈迦様の恩徳に感謝し、足跡を求め、追及していきます。国連ウェーサーカ祭が体現した仏教の慈悲や知恵を受け継ぎ、発展させ、発揚し、全世界に伝わっていきます。

2500年ほど前に、お釈迦様は菩提樹の下で満天の星を見て悟り、身を持って生命の円満自在と安楽―涅槃を証明しました。慈悲と偉大なお釈迦様は自分一人での法の喜びに浸さずに、そらからの何十年の歳月で、弛まぬ努力して仏法の知恵の種を播き、無数の衆生を疑いの縛りと生老病死の苦痛から解放させました。今日まで、世界各地に伝えられた仏法は、無尽の衆生に利益をもたらし続け、我われ仏教徒達に命の究極の関心を与えてくれました。

究極の安楽と解脱を得られるように、お釈迦様は弟子に出世の教えを与えただけではなく、家族にやさしく、社会に幸せ、世間に利益をもたらすことができる慈悲の心を持てるように、自らの言葉と行動で弟子たちに教えました。『善生経』の次のように述べました。世尊はある在家弟子に、どうように親子孝行する、どのように師匠を尊敬する、どのように妻に礼儀正しく対応する、どのように親族に尊重する、どのように侍にやさしくする、どのように沙門に供養する等のことを親切に教えたし、賭博、大酒を飲む等の悪習慣から遠ざけるように警告しました。また、『六趣輪廻経』に曰く、「若人以浄財、離慳広行施、得上妙飲食、所欲皆如意。若人建橋梁、及車乗等施、得最上安隠、珍宝之輦輿。若人于昿野、施池井泉流、于在所生所、無渇乏熱悩。」(もし、人は浄財で持って、吝嗇をやめ、大いにお布施すれば、上等な飲食を得られ、願い事も実現できるでしょう。もし、人は橋梁を建設し、車等の乗り物をお布施すれば、最高な宝物のような乗り物を得られます。もし、人は荒野で井戸をほれば、自分の生活するところでは乾燥な悩みはないだろう。)多様な形で仏弟子のお布施、社会奉仕の功徳を賛嘆しました。また、諸々の大乗経典には、菩薩がどのようにお布施、愛語、利他行、同事の四摂法で衆生、世間を摂授することを大いに唱えました。

世尊は徹底的な平和主義者、平和を唱道する使者であります。『長阿含・遊行経』の記載によると、摩竭陀国の阿阇世王は隣国の跋祗族に戦争を施すつもりだったが、雨势大臣を使者としてお釈迦様のところに派遣し、お釈迦様は機会で使者を説得して戦争を食い止めました。琉璃王は戦争を行って迦毗羅衛国を攻める時、世尊は舍夷树の下で落ち着いて坐っていて、その慈悲と畏れることない精神で琉璃王の狂気を抑止しました。「勝てば恨みの種を蒔き、負ければ身心が不安なり、勝負することを放下すれば、心身の平静の楽しさを知る」――平和を愛していて、戦争に反対するお釈迦様の聖なる教訓であります。

昨今、科学技術の著しい発展に連れ、人々の物質生活のレベルは高まりつつあるが、一方、戦争やテロリズム、貧富の差の激化、環境とエネルギーの危機、人間関係の緊張化などの問題にも直面しなければなりません。現代の仏教徒と仏教団体として、今まで以上にお釈迦様の慈悲、無我利他の精神を受け継ぎ、様ざまな社会問題に積極的に関心を寄せて、全人類の調和の取れた発展に相応しい貢献すべきです。

今回はじめてベトナムで行われた国連ウェーサーカ祭の国際仏教大会では、世界中各国の地域からやってきた高僧方々が一堂に会し、戦争の衝突、社会の公正、環境、家庭などの問題に重大な関心を寄せるという大会のテーマをめぐって、仏教が人類社会の様々でリアルな問題に対してどのような貢献をすべきかと検討すると同時に、仏教教育の発展方向等のテーマも取り上げます。今回の大会は全世界の仏教徒の世界平和への美しい願い、仏教が全人類の福祉に対する慈悲の心も体現され、それに、必ず国際的な仏教界の交流と発展に積極的かつ深遠たる影響をもたらすでしょう。ここで、中国仏教協会を代表し、心よりお祝いの意を御礼申し上げます。

2006年4月、中国浙江省の杭州市と舟山市で中国仏教協会と中華宗教交流協会が主催する「和諧世界、かり始まる」をテーマとする仏教フォーラムは開かれました。

2008年11月、中国仏教協会、中華宗教文化交流協会及び香港仏教連合会は江蘇省の無錫で第二回の仏教フォーラムが開きました。今回のフォーラムは「和諧世界、衆縁和合」をテーマにして、世界中の仏教徒に、お釈迦様の教えと慈悲知恵の精神を発揚し、人間と自然の「依正不二」(えしょうふに、自分と自分の周りを 取り巻く環境は、別のものではなく一体である)の共生する理念を唱え、積極的に行動するようと呼びかけています。国と国、民族と民族、「これ有れば彼れあり、これ生ずるが故に彼れ生ず」という縁起の理念のもと、お互い手を携え、平和の世界を創ると提唱しました。ここで、正式に皆様が「第二回世界仏教フォーラム」に出席してくださるようと招聘します。

最後に、改めてベトナム僧伽会のご厚意に心より感謝の意を申し上げます。

皆様のご健勝のことをお祈り申し上げます。

「中国仏教の伝播と啓発」

——仏教におけるアジアの歴史と文化を描く

国際シンポジウムの開催式にて

中国仏教協会副会長 学 誠

2011年6月18日

「過去から現在にかけて、アジアの文化と悠久の歴史は、地球上に存在する私たち人間の、もはや半数以上の人間の共有する事実となった」(マーフィー・ローズの『アジア史』).この記述からアジア地域の歴史の悠久さと文明の複雑さを伺うことができます.しかし、そこから文化の推移――仏教文化   を発見することができます.仏教の広範囲な伝播はアジアの歴史において大いに貢献してきました.仏教がインドからアジア全体に伝わっていくプロセスの中で、中国の仏教は中枢的な役割を果たしてきました.中国の仏教はインド仏教の要諦を受け継ぎ、東アジア各国に伝え、仏教の再興をもたらし、後のアジア諸国に深遠な影響を与えたのです.

漢の明帝が仏法を求める使者をインドに派遣したことは、仏教が正式に中国に伝わる象徴的な出来事であります.地理環境、文化風俗がインドとはまったく異なる中国で仏教が深く根ざすことができたのは、歴史的な因縁があります.漢の時代では、儒教徒が天人感応を信じ、また陰陽五行説、讖緯(しんい)説、巫蠱(ふこ)などの方術も民間に氾濫し、社会に混乱をもたらしました.漢の時代の方術は迷信の色合いが濃く、功利主義の傾向があり、人々の宇宙の秘密を探求する要望と人生の意義を追求する願望には答えられず、道徳倫理の基本まで侵食されていました.そこで、論理的な思考に拠る、因果応報を重視する仏教思想は儒、道学説の欠陥を補い、社会発展の要求に合致したため、統治者の礼遇と支持を得ることができました.取経、訳経、釈経、授経などの活動の展開に従い、外来と本土の高僧の協力の下、仏教はやがて魏晋南北時代に社会広範囲の信仰を得られ、極めて大きな進展を遂げたのです.

隋唐の時代は中国仏教が発展の頂点に達し、当時の中国はすでに仏法の最も敬虔な国となり、最も熱情のある仏教の伝播者でもありました.敬虔たる者の魂の代表者は玄奘大師で、伝播者の魂の代表者は鑑真大和尚であります.この二人は中国仏教の"前を受け継ぐ時代"の終了、"後に啓発する時代"の始まりを告げました.玄奘大師は五万里という長い旅を歩き、インド各地を訪問し、さまざまな師を訪ね、インド仏教の各派の学説を研鑽し、造詣も深く、インド僧俗各界の尊敬を得ました.玄奘大師が帰国後、経典を翻訳することと弘揚することを志し、インドの仏教思想の精華――法相唯識宗を完全に中国に導入しました.これは仏教の中心地が東に移ったという意義を象徴しています.鑑真大和尚は中国の仏教の思想の結晶――唐の時代の律宗と隋の時代の天台宗を総じて日本に伝えました.鑑真大和尚が提唱されている梵網戒と天台教義は日本の仏教の個性の成り立ちに大きな影響を与えました.このふたりの大師の、仏法のためには命も惜しまないという精神は、後世の人々に強靭な意志と魂を残し、アジアの国々の平和共存と世代友好にも歴史的な貢献を果たしました.

宋の時代以降、本土宗派が正式に設立され、修学の体系も日々完備され、漢伝仏教は僧侶と官僚貴族の独占から、一般の庶民の日常生活に浸透し、「家々に阿弥陀、戸戸に観世音」と言われるほど社会全体に伝わりました.ある意味では、観音信仰は中国の仏教の独特な特徴であります.来世の極楽をもとめる阿弥陀仏の教えと違い、観音菩薩は人間を現実的な苦難から救い出し、衆生を導きます.数えきれないほど観音様の救済事跡を総括した『三十三の観音』は、観世音菩薩の大慈大悲精神の完璧な表現であります.菩薩は神秘的な存在ではなく、一般の人々の心のうちに生きています.今、観世音菩薩の中国化された人物像はすでに人々の心に深く根ざしていて、アジアの隅々まで浸透されています.観音信仰は「アジア人の半数の信仰」と謂われ、「人間仏教」を推し進む重要な原動力でもあります.

文化の進捗と時代性は、その文化が広く伝播されるかどうかが鍵を握っています.中国の仏教はなぜ東アジアの国々に広く伝わったのか.それは、単にインドの仏教を受け継いだだけではなく、仏教の伝統を創造的に発展させ、深化させたからであります."前を受け継ぎ、後を啓発する"というふたつの段階をうまく融合させ、"前を受け継ぐ"という段階では、仏教を学習し、吸収し、"後を啓発する"段階では、創造的に発展させ、伝播することです."前を受け継ぐ"ことは"後を啓発する"ことの前提条件で、"後を啓発する"ことは"前を受け継ぐ"ことの必然たる発展であります.

歴史を振り返りますと、中国の仏教は一貫して深遠たる豊かな中国文化の基盤に根ざし、健全な発展を遂げました.中国文化の大乗的な特徴があるからこそ、仏教の慈悲と智慧というふたつの精神は円満に発揚することができました.これは中国文化がアジア及び世界に大いに貢献できることであり、仏教が民族、文化の違いを超え、素晴らしい発展が遂げた成功事例でもあります.中国仏教の発展の歴史的な経緯は、仏教がグローバル化しつつ今日において、必ずや人々に深い啓発をもたらし、重要で指導的な役割を果すことができると確信しております.

韓国仏教と中国天台宗との深い源

    以前、東アジアの三つの国(中国、韓国、日本)の人々は、中国から入ってきた仏教という黄金の絆で繋がられていた。その中で中国仏教の天台宗は黄金の絆の重要な一環となっていた。天台宗の実質的な開祖となる天台智者大師の円寂1400周年を記念するために、ここで、韓国仏教と中国天台宗との交流歴史を簡単に紹介する。
 
    韓国仏教は四世紀に中国から伝わったものである。当時、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済という三つの国に分かれていた。372年、中国姚前秦時代の苻坚は使節及び僧順道法師を派遣し、仏像と仏経を高麗に贈った。384年、インドの僧摩羅難陀は東晋から百済に赴き、仏教を伝えた。これからまもなく、新羅は高句麗から仏教を受け入れた。
 
    海東では天台思想と最も早く接触した新羅人は玄光法師だった。南朝の陳の時代に、彼は南岳衡山に行き、天台二祖の慧思について仏法を学び、智とともに南岳一派28名のエリートの一人となった。『法華経―安楽行品』に基づいて慧思に法華三昧の悟る方法を伝授されてから、懸命に勉強したお陰で、ようやく華三昧を悟った。慧思から認可をもらった後、指示に従って新羅に帰った。そして熊州翁山で寺を建て、法華三昧を悟る方法を伝授した。一時、門下の弟子が多くなった。
 
    その後、高句麗から来た般若法師も南朝の陳の時代の中国に行き、まず金陵で仏法を聞いたり解説したりしていた。589年、隋が南朝の陳を滅ぼしてから、金陵を離れた般若はいろいろなところで仏法を学んだ。596年、天台山に入り、智者大師を師として仏法を求めていた般若は、やがて悟りの境地にたどり着いた。その後、天台山の华顶峰に隠遁し、16年間で頭陀行を修めた。613年、山をおり、国清寺に行った般若は、まもなく国清寺にて円寂した。
 
    隋の時、中国に入って智者大師を師とした新羅僧侶の縁光法師がいた。彼は『法華経』に没頭し、多くのことについて悟りを得た。智者大師が円寂してからまもなく国に帰って、天台宗の基となる経典の『法華経』を主に解説し、法華の教義を広く伝えた。そして、毎日『法華経』を読経しつづけた。80歳の時円寂して火葬されると、なんとその舌が完全そのままだったと言われている。
 
    唐代天台宗八祖の左溪玄朗の時期に至ると、弟子の理应と纯英を連れて、中国に入った新羅の法融法師は、玄朗大師の下で学んでいたため、唐代天台宗を中興した祖师荆溪湛然尊者と同門になった。その後、三人は国に帰って、天台の教義を広く伝えた。
 
    唐代末年、「会昌の廃仏」のせいで、天台宗経典の典籍は大量に壊されたり、失ったりして、滅びる寸前だった。五代の吴越王钱弘俶は仏教に敬慕して、天台宗の名僧義寂の提案で朝鮮、日本に使者を派遣し、散逸した天台教典を訪ねた。961年、高句麗の国王に中国に派遣された僧谛观は、若干の論述と著述を螺溪义寂尊者のところに送り届けて、义寂のとなりに残して仏法を研究した。十年後(約969年)、天台山で涅槃に入った谛观は後の世まで伝わる有名な『天台四教仪』を著した。中国に天台教典を持ち帰ることは、天台宗が宋朝での復興にとって極めて大きな役割を果たした。五代の時、高句麗から晋の天福末年のころ中国に入った义通尊者は、まず德韶国師から仏法を受け、それから义寂の門下に加わって、一心三観の仏理を研究して、20年間も仏教を広く伝え、その名は遠くまで知られていた。义通は身につけた仏理をふるさとに持ち帰ると思っていたが、四明郡守钱惟治の厚意は断り難く、結局帰らなかった。开宝元年(968年)、弟子の誘いに応じて四明传教院で仏法を伝えた。端拱元年(988年)、ここで涅槃に入って、後世の人に天台宗第十六祖と尊ばれた。彼の弟子の四明知礼(天台第十七祖)と慈云遵式と共に宋朝初の天台宗を中興した高僧である。
 
    五代から宋まで、中国に来て天台教観を学ぶ海東僧侶は数多いので、わざわざ天台国清寺の前に悟空法師が新羅園を建て、彼らを留めなければならなくなった。
 
 宋の時、天台教義が高句麗で普及するにつれて、高句麗の大觉国師義天に至るまで天台宗を初めて創立した。義天は高句麗文宗王の第四王子で、11歳の時に出家して、内外の経典を研究した。1085年、弟子を連れて宋に入った28歳の義天法師は、宋哲宗の礼遇で、当時中国の高僧50人ほどあまねく面会して、仏法を議論した。杭州天竺寺の从谏尊者を師として天台教観研究し、天台山智者大師の塔を巡礼したことがあった。教義に従って、いつかふるさとに帰り、命を尽くしても仏法を広く伝えるという願をかけたこともあった。中国にいた十四月で各宗派の典籍を集め、経書千冊を国に持ち帰ったため、高句麗の宣宗王及び皇太後に大歓迎された。義天は力をこめて天台教義を広く伝えたため、天台宗は大いに盛んになった。義天は円寂した時わずか47歳であったが、その弟子が千人ほどいて、その中には有名な人がさらに160人もいた。天台宗だけでなく、韓国仏教全体にとって大きな影響を与えた。
 
 宋の末、圓妙了世国師は全罗南道江津万德寺で天台白蓮結社を建て、高句麗末期の仏教の一時の中興を促した。
 
 天台宗を含んでいる海東仏教は高句麗王朝が支配した471年間で大いに盛んになった。しかしながら、朝鮮李氏王朝には仏教を抑える政策が下された。その状況で、天台宗は禅宗と一つにまとめられた。それから、天台宗は仏教を抑える波に吸収されて、民間の深層の中のみで伝え続けられた。称賛に値するのは、ただ天台宗を研究し、『蓮経別賛』を著してある梅月堂の金时习(1435―1493)と「注:雪琴居士查无此人」、『禅学入門』を書き、天台止観がすなわち天台禅ということを論述した月窗居士金大铉(1855)と二人のみである。
 
 現代に至るまで、やっと立ち直った韓国天台宗が、いち早く発展した。1945年、上月圓覚法師は韩国忠清北道の丹阳郡の小白山の間で救仁寺を建った。1966年、天台宗に再建された救仁寺は、第二年で政府の登録を受けて、天台宗を成立した。上月圓覚法師は初代の宗正を就任した。1982年、韓国天台宗は金剛学院を創立し、金剛仏教大学も内設された。1985年月刊の『金剛』を創設した。
 
 現在、小白山の救仁寺はすでに韓国仏教天台宗の本部となって、支部の寺及び仏教団体などが350所で、信者が167万人に達している。
 
 韓国天台宗は宗団の三つの目標を打ち出した。一つは国を愛する仏教を建つこと。その内容は、福祉社会の建設を貢献するため、民族の中興事業に身を捧げることと、国民の道義を尽力して再建するため、社会を浄化する活動に熱心に参加することである。二つ目は仏教を生活化にするのを呼びかけること。その内容は、幸福を祈る仏教から幸福を享受する仏教まで、暇な仏教から生産する仏教まで、アイドルの仏教から実践の仏教までになるのを呼びかけることと、生活を実践することこそ、仏教を実践するという理想を打ち出すことである。三つ目は大衆の仏教を体現すること。その内容は、伽藍の仏教から民衆の仏教まで、家出の仏教から在家の仏教まで、厭世主義の仏教から救世主義の仏教までになることを呼びかけることである。
 
 韓国天台宗は我が国の仏教界との関係がとても良好である。1992年、韓国が中国と外交関係を結んで以来、韓国天台宗はよく訪中団を派遣して、我が国の天台祖庭を参詣しに来る。1995年、我が国と協力して天台山国清寺で中韓天台宗祖師記念堂を建った。記念堂の中に智者大師と韓国天台宗の大覚国師、上月祖師を祭っている。記念堂の落成式で韓国天台宗から300人あまり規模の代表団を派遣して参加した。1996年5月、国清寺が建ってから1400年と智者大師が円寂してから1400周年を記念するため、天台山国清寺は一年を繰り上げて法会を行った。韓国天台宗から200人あまりの人によって組まれた団体が参加して、日本天台宗も参加した。中韓日三国の天台宗信者は一堂に楽しく集い、大盛況であった。同年9月、中国仏教協会が主催する明旸法師を団長とする30人あまりの代表団は韓国を訪問して、韓国天台宗が主催するた智者大師が円寂してから1400周年を記念するための中韓日天台宗の法会に参加した。1997年4月、中国仏教協会に組織された刀述仁副会長を団長とする代表団は韓国天台宗の釜山三光寺の九層宝塔の落成式を参加して、中韓両国の仏教界の友情をさらに増進した。仏教事業の発展と共に、中国天台宗と韓国天台宗の間の交流は必ず日増しに頻繁になると信じている。
 

仏陀の悟りと人類の福祉

——第八回「国連ウェーサクの日」の祝祭での挨拶

(2011年5月14日タイ・バンコク国連会議センター)

1950年以来、世界仏教徒の共同な努力のもと、仏陀のご誕生、ご成道、ご入滅の「三期を同時に祝う」を特徴とするウェーサクの日の祝祭は国と地域の境を超え、世界に向けて邁進しました.また、1999年に国連の承認を得られ、国連の日として確立されました.これは世界範囲において、仏陀の慈悲、知恵、円融の精神を拡げるために堅実な礎を作りました.

2004年の第1回「国連ウェーサクの日」の祝祭がタイのバンコクにて盛大に行われました.8年以来、「国連ウェーサクの日」を通して、世界の仏教徒は世界の人民と一緒に、世界平和の維持、持続発展の促進、公正、民主的な文明社会の建設、グローバル的な危機を乗り越える等重大な問題に、積極的な役割を発揮しました.今回の「国連ウェーサクの日」の祝祭は「仏教の社会経済発展への貢献」をテーマにして、仏教と世間の持ちつ持たれつの関係、世間を超越しながら、世間に参与し、世間の悩みをなくすという特徴を取り上げます.

長い農業文明の時代を後にして、人類社会は200年余り前に、日進月歩、盛んに発展している工業文明の時代に入りました.大規模的な生産と社会に商品が溢れていることを特徴とする工業文明は、人類に物質的な便利と裕福をもたらした一方、未曾有のチャレンジも人類に直面させました――地球の資源が迅速に消耗され、自然環境が厳しく汚染されました.世界経済の一体化に伴い、人類社会の公平と正義に関する問題は一つの国、一つの民族という制限をとっくに越えられ、世界各国、各民族がともに直面している課題となりました.経済が発展すること自体は諸問題をもたらした同時に、かえって経済の更なる発展のハードルにもなっています.

仏教は創設して以来、一貫として、人類と自然の関係について、人類と自身の関係について、超越な視点、寛大な心で扱っています.アメリカの有名な生態文学者エドワード・アビ―(1927-1989)は、「成長のための成長はガン細胞の増殖とかわらない」と記しました.発展すること自体は問題ではなく、人類の必要とする発展方向を明確にすることは肝心なことであります.それに、この発展のプロセスの中、いかに発展すること自体が本来の目的を背けないことは重要であります.ブッダの悟りは人類に莫大な福祉をもたらすことができました.人類に極めて貴重な精神的な宝を残してくださいました.「依正不二」、「自他不二」はその中にもっとも傑出な代表的なものであります.「依正不二」、つまり、人類は大自然の環境の中に身をおかれていて、大自然とは対立しているわけではありません.大自然への破壊は人類自身も影響されてしまいます.大自然を守れば、人類自分自身も守られます.「自他不二」、国と民族の発展は人類という大家庭の環境の中におけば、国と国、民族と民族の対立がなくなります.人類全体も家族と同じようになり、あらゆるの有情が繋がっているように考え、動物などの有情への傷害はかならず人類自身にも及ぼします.他の有情への愛護は人類自身への愛護と等しいです.この「不二法門」の啓発に従えば、人類が「成長のための成長」というジレンマーに陥れないようにできます.人類社会の発展も穏健、幸福、輝く道を歩むことができます.

世界経済のグローバル化の発展につれ、人類の運命は緊密に連携するようになりました.この時代の流れに乗って、世界仏教徒はもっと団結一致するべきで、仏陀の恩徳を浴しながら、仏陀の「慈悲済世」の精神をもっと広く発揚するべきであります.疑い事も無く、第八回「国連ウェーサクの日」の祝祭を行うことによって、世界仏教徒はこの方面において、大きな一歩を前に邁進することができます.タイ政府とマハチュラロンコーン大学の弛まぬ努力に衷心より敬意を申し上げます.重ねて、ブミボン国王の84才の誕生も衷心より祝福の意を申し上げます.タイの国民に深く尊敬されているブミボン国王は福寿無彊できるようにお祈り申し上げます.

最後に、本大会が円満な成功を収めるよう祈念し、私の挨拶と致します.

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