学誠会長はスリランカ仏教部ペレラ部長ご一行と会見

2018年5月15日、中国仏教協会会長の学誠法師は北京でスリランカのガミニ·ペレラ仏教部長と会見

友好会談

記念写真

中国仏教協会

2018-05-15

作者:陳長松  写真:段林燕

2018年5月15日午前、中国仏教協会会長の学誠法師は北京にてスリランカのガミニ·ペレラ仏教部長ご一行と会見を行いました。双方は友好会談を行いました。中国仏教協会副会長演覚法師、スリランカ駐中国カルナセナ大使、スリランカ中国仏教友好協会ソマティ会長も会見に同席しました。

学誠会長はペレラ部長ご一行のご来訪に対し熱烈な歓迎の意を表した同時に次のように述べました。スリランカは海上シルクロードの重要な仏教国の一つであり、仏教により両国が千年以上の殊勝な縁で結ばれ、両国国民を連結する重要な信仰文化の絆もできました。特に、中国とスリランカの国交正常化60数年以来、仏教は両国国民の相互信頼関係と友情の促進に積極的な役割を果たしました。この新しい歴史の時期に、両国の仏教界は友好的な歴史伝統を受け継ぎ、たゆまぬ努力の下でまた新たな成果を成し遂げることができました。スリランカの招聘により、中国の仏牙舎利のスリランカでの展示、中国仏教代表団のスリランカの浴仏会に連続参加等、このような活動は中国とスリランカの仏教交流の素晴らしい逸話となりました。

また、学誠会長は今年10月に福建省莆田で開かれる国際仏教交流プラットフョームとしての第五回世界仏教フォーラムの基本情況を紹介しました。相互交流を深めるために、ペレラ部長及びスリランカ仏教各宗派の指導者のご参加に招聘の意を表しました。

学誠会長のご指導のもとで中国仏教協会の両国仏教交流と両国国民の世代友好のためになさった貢献に対し、ペレラ部長は高く評価しました。今後も一貫として両国仏教界の友好関係及び協力関係に支持し、第五回世界仏教フォーラムの開催にも期待していると述べました。

初心を忘れず、共に未来を切り開く

——日中友好宗教者懇話会創立50周年祝賀会における講演

中国仏教協会会長・中国仏教学院院長 学誠

2017年5月29日 日本・東京

尊敬する持田日勇会長、
尊敬する山田俊和理事長、
尊敬する「日中友好宗教者懇話会」の皆様、
ご来賓の皆様:

この命みなぎる初夏の季節、このめでたい日に、「日中友好宗教者懇話会」(以下「日宗懇」と略)の顔馴染みの方々、新たにお目にかかる皆様方と一堂に会し、「日宗懇」創立50周年をともにお祝いできることは、殊勝なる因縁であり、感無量であります。まず、私は中国仏教協会と中国仏教界を代表して、「日宗懇」創立50周年に、熱烈なる祝賀を贈りたいと思います。ご来場の「日宗懇」や日本仏教会の高徳方及び各界のご来賓の皆様に心からご挨拶を申し上げます。また、日中仏教友好交流事業に一途に力を注ぎ、すでに往生なされた先の高徳方に最高の敬意と深い追懐の意を表したいと思います。

十年前に、私は代表団を率いて、「日宗懇」創立40周年の祝賀会に出席しました。今でも当時の様子がまるで昨日のように、ありありと目に浮かんできます。十年の歳月はまるで「白駒隙を過ぐ」かの如く、瞬く間に過ぎ去り、世尊がお示しになりました「諸行無常」を深く感じます。しかしながら、喜ばしいことに、「日宗懇」は歳月の洗礼を受け、初心を忘れずに勇猛果敢に邁進し、各事業が勢いよく発展し、新しい成果を絶えずおさめ、日中仏教友好交流や民間往来の促進にかけがえのない役割を積極的に果たしています。さらに、嬉しく一層大切にしなければならないこととして、時代がいかに変わろうとも、「日宗懇」と中国仏教協会、中国仏教界との「友好の木」は、双方が大切に守り育てたことで、すでに天を突くような巨樹に成長し、根を深く張り、葉を茂らせ、花と果実の香りを漂わせるようになりました。

一、「黄金の絆」で結ばれた長い交流史

中日両国の「友好の木」は、中日仏教の伝統的法誼の沃土に深々と根を張っています。中日両国は「山川、域を異にすれども、風月、天を同じうす」と言われたように、一衣帯水の友好的な隣国であります。両国の文化にはそれぞれの特色がありますが、同じ遺伝子もたくさん伝承されています。私は日本を訪問するたびに、特に名所旧跡や古い歴史を持つお寺を拝観いたしますが、いつも濃厚な唐・宋代の雰囲気を感じ、とても親しみを覚えます。中日両国の仏教は源を同じくし、長い伝統的法誼の歴史を持っています。教科書のようにいちいち歴史をつぶさに述べなくても、幾つかの人名、幾つかの聖地を挙げるだけでも、重厚で輝ける中日仏教の伝統的法誼を明らかに示すことができると思います。

日本の奈良市には、千年の歴史を持つ古寺――唐招提寺があります。そこは清浄自然かつ荘重古朴な、美しく優雅な殿堂が静謐な自然環境と互いに照り映えており、山門をくぐると粛然とし、自然に心身が引き締まり、直ちに爽やかで自在となります。そこには孝謙天皇から賜ったお寺の扁額があり、鑑真和上の乾漆像が奉じられています。ここは日本律宗の大本山であり、鑑真和上が開いた戒律を宣揚する根本道場で、中日両国仏教徒の憧れの聖地でもあります。千二百余年前、鑑真和上は、遠い海の向こうから渡ってきた日本の仏弟子の誠意ある招きを受け、弟子たちが波高く危険な海を渡るという吉凶未分の弘法の道に躊躇しているとき、「日本は縁のある国であり、仏法の為に生命を惜しむことがあろうか。誰も行かずとも私は行こう」と揺るがぬ決意を示しました。こうした勇猛果敢な、仏法のためには我が身を捨てるという精神で、五回にわたる渡航の挫折や失明にも負けず、六回目の渡航によってついに宿願を果たしました。彼は完全な「四分律」を日本へ導入し、日本で律宗を開創し、天皇の支持を受け唐招提寺を建て、仏教の日本における伝承・発展のために著しい貢献をしました。さらに漢方医学や、中国の進んだ建築技術、仏像製造技術などを日本へもたらし、日本文化の発展と中日文化交流のために重要かつ積極的な役割を果たし、中日両国の仏教界が共に尊敬する祖師大徳となり、両国民が共に尊ぶ友好使者・文化使者となりました。

「晩(くれ)に向(なんな)んとして意(こころ)適わず 車を駆って古原に登る 夕陽(せきよう)無限に好し 只だ是れ黄昏(こうこん)に近し」(夕暮れになるにつれて心落ち着かず。馬車を走らせて楽遊原に登ってみた。夕陽は無限に美しく輝いているが、ただひたすら黄昏に近づくばかり)。これは唐代の著名詩人李商隠の五言絶句で、題は「登楽遊原(楽遊原に登る)」です。その「楽遊原」という高地は、陕西省西安市の東南部に位置し、そこには古くて若いお寺――青龍寺があります。古いというのは、このお寺は隋代に最初に建設され、唐代に復興されたものだからです。若いというのは、このお寺は、1980年代以降、中日両国仏教界の協力のもと、遺跡を発掘保護した上で再建されたものだからです。青龍寺は唐代において、真言宗の祖師である恵果大師が住し、弘法した根本道場であり、日本の真言宗開祖である弘法大師空海がここで恵果大師について密教を学んだ聖地でもあります。そこに中日両国が共同で「空海記念碑」を建て、両国の仏教界が共同で「恵果・空海記念堂」をつくり、両国の仏教が脈脈と受け継がれた殊勝な法縁の証とし、両国仏教界の時空を越えた法誼を凝縮しました。弘法大師は、情熱を持ち、三学に精通していたばかりでなく、儒学、サンスクリット語、漢語にも通じており、多芸多才な仏教大師でありました。彼は真言密教を日本へもたらし、伝教大師最澄とともに平安時代の日本仏教を新しい段階へと導いただけでなく、唐の採鉱・道路建設・水利工事・架橋などの進んだ土木技術を日本へ導入し、平民教育を創始し、日本の経済・社会・文化の発展に古今を照らす傑出した貢献をし、今でも日本国民に慕われ、尊敬されています。弘法大師もまた中日仏教交流の友好使者で、文化交流の重要な功労者であり、中国仏教界及び中国国民にも尊敬されています。

中国江蘇省南京市内、高層ビルと車の流れの合間に、古めかしく静まり返った一角があります。ここは、近・現代中国仏教復興の震源地と言われる金陵刻経処です。この創立者は、中国近・現代仏教史・文化史上よく知られている楊文会居士です。楊文会居士は若い頃、清末の外交官曾紀沢氏が公使としてヨーロッパに駐在した際に付き添いました。その際、イギリスに留学していた日本浄土真宗の南條文雄法師と知り合いました。それから30余年もの間、両氏は絶えず手紙をやり取りし、互いの仏学を切磋琢磨し、中日仏教友好交流史上に美談を残しました。廃れた仏典を再度流通させようという楊文会居士の大事業は、南條文雄氏の大いなる援助を受け、宋・元代以降、散逸していた多くの重要な仏教典籍が日本から取り寄せられ、印刷され世に流通することになったのです。一方、京都の蔵経書院の「続蔵経」印刷事業の際には、楊文会居士が目録案についての意見を寄せただけでなく、善本の収集に駆け回って多大な力を注ぎました。楊文会居士と南條文雄法師との友情と交流・協力の姿は、中日仏教の法縁の中でも輝かしいもので、両国仏教界一同はそれらを尊重し、記念・発揚すべきものと考えています。 一つの宗教、二つの国家、三つの聖地、四人の先賢を心に刻み、われわれは諸先輩方の足跡をたどり、千年の時空を越え、万里の距離を跨って、今日、中日仏教の伝統的法誼という沃土の上に、両国の先賢·高徳の偉大なる願行と貴重な心血が凝縮して「黄金の絆」となっているのを容易に目にすることができるでしょう。この「黄金の絆」が正に血脈のように絶え間なく栄養を供給することで、われわれの「友好の木」がすくすくと元気よく育ち、葉を茂らせ、両国民に仏教の特質である慈悲・平和・智慧という加護と心のよりどころを与えてくれるのです。

二、心を一つにして「友好の木」を育てる

われわれの「友好の木」は、中日両国における仏教界の先輩・高徳が慈悲と平和という仏教精神にのっとり、恐れを知らぬ胆力と識見、巧妙で便利な知恵によって、共に種を蒔き、水をやって育てあげたものです。ここで中華人民共和国成立後の中日仏教交流の歩みと「日宗懇」成立のいきさつを振り返ってみると、中日両国民に深い災厄をもたらしたあの戦争のことに触れないわけにはいきません。この場で戦争のことを語るのは、決して恨みを深めるためではなく、歴史を「前車の覆るは後車の戒め」とし、慈悲と智慧の仏教精神を発揚し、両国民が互いに憎み合うという苦しみの輪廻から抜け出て、今後永遠に戦禍に身を晒さないよう努めるためです。中国と日本が共に仏の教えに親しみ、代々受け継いできた伝統的法誼は、戦火で灰燼と帰しても、消え去ることはありませんでした。反省と懺悔、慈悲と平和、無我と無畏という仏教の精魂に導かれ、中日仏教界の伝統的法誼は再び生気を取り戻しただけでなく、中日両国民間交流の再開と、中日国交正常化を実現するためのかけがえのない力となったのです。

1952年10月、北京で開かれたアジア·太平洋地域平和会議の際に、中国仏教界は、会議に出席した日本代表に託し、日本仏教界に薬師如来像を贈りました。われわれは薬師如来像に現された慈悲の精神とイメージを通して、日本仏教界への友好の意を示したのです。これは日本仏教界から熱い反応を呼び起こしました。その時から、両国の仏教徒は力を合わせて中日仏教界の新時代を象徴する「友好の木」を育て始めたのです。

この時期、双方は戦争の傷跡を癒し、中日平和友好を促進するために多くの活動を行ってきました。1953年、日本仏教界で「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が設立され、大谷瑩潤委員長と菅原恵慶事務局長のもとで、11年間(1953~1964年)、9回にわたって3000人余りの在日中国人労働者の遺骨を中国に送還しました。1961年5月、大谷瑩潤委員長は中国訪問の際、中国仏教協会に、日本社会各界の1500余名が署名した「日中不戦の誓い」を贈ってくださいました。それは日本仏教界の中日友好の願い、決して再び戦わないという固い決意を表したものです。両国仏教界のたゆまぬ努力によって、1962年と1963年には、中日両国の仏教界と文化界の有志らによる鑑真和上円寂1200周年記念行事が共同で開催されました。この記念活動は、両国仏教の新時代の「友好の木」を育て、中日民間の交流を深め、国交正常化の実現を促進するのに重要な役割を果たしました。

中日国交正常化の後、両国の仏教交流は、更に広く深く展開する時期を迎えました。日中友好仏教団体が次々と生まれ、1953年2月に設立された「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」と1955年7月に成立した「日中仏教交流懇談会」の基礎の上に、1967年5月に「日中友好宗教者懇話会」が正式に誕生し、1975年には「日中友好仏教協会」が成立しました。それに続いて日本仏教各宗派は相次いで各自の日中友好仏教団体を設立しました。両国仏教界の交流は以前よりも頻繁に行われるようになりました。中でも1980年の「鑑真和上像里帰り」は大きな反響を呼び起こし、両国仏教界の友好関係を強固にしたばかりか、文学•芸術•医学といった文化領域の友好協力関係をも促進しました。

中国の改革開放後、政府の宗教信仰の自由政策が全面的に実行されるにつれ、中国における仏教事業は次第に勢いを取り戻しつつあり、着実に発展を遂げ、中日両国の仏教交流も新たな歴史的段階へと邁進しています。双方の友好交流はますます頻繁となり、その方法も多種多様化し、レベルも次元も全面的となり、その仕組みや土台が次々と作り上げられ、固められ、改善されています。中日仏教の「黄金の絆」は再び眩しく輝き、中日仏教の新時代の「友好の木」は穏やかで暖かい日の光に照らされ、好い雨が降り注ぐ春を迎えています。

ここ10数年の間、「日宗懇」とわが中国仏教協会、および中国仏教界の相互訪問が絶えず行われ、先人たちが築き上げた友好関係は良好な方向へと発展しています。例えば貴会の持田日勇会長が幾度も訪問団を率いて訪中し、中国仏教界が主催する「世界仏教フォーラム」に四回にわたってご出席くださいました。中国仏教協会の伝印前会長とわたくしは、かつて何度も日本と中国で持田日勇会長とお会いしており、懇談を重ね友好を深めてまいりました。2011年9月、中国仏教協会は持田日勇会長に「中日仏教友好使者」の称号を授与し、会長の長年にわたる中日仏教友好交流事業への多大な貢献を顕彰し、「日宗懇」および日本仏教界の深い友情に感謝の意を表明させていただきました。

中国には「水を飲む時にはその源について考えろ」という言葉があります。今日、われわれは両国の仏教界が共に育ててきた新時代の「友好の木」の種を蒔き、水をやり、育てあげた両国仏教会の先輩・高徳の功徳を肝に銘じ、その恩に感謝すべきです。この場を借りて、大谷瑩潤長老、西川景文長老、小野塚潤澄長老、大河内隆弘長老、菅原恵慶長老、椎尾弁匡長老、高階隆仙長老、清水谷恭順長老、山田無文長老、塚本善隆長老、大西良慶長老、道端良秀長老、西川鑑海長老、山田恵諦長老、庭野日敬様、大谷武様、および弊会前会長の趙朴初居士などの長老・高徳の方々、ご臨席の皆様に心よりの感謝を申し上げます。先賢たちの並々ならぬ努力と苦労は、必ずや両国仏教友好交流事業の記録に記載され、後輩のわれわれやそれに続く人々の励みとなることでしょう。先賢を偲び歴史を忘れず、伝統を守りながら、子々代々、末永く友好関係を続けていきましょう。

三、初心を忘れず、共に未来を切り開く

普賢菩薩の行願精神は大乗仏教の重要な精神です。この精神は、現状に甘んじず、マンネリに陥ることなく、しかも灰身滅智(身を灰にし、智慧を滅して、すべてをなくしてしまうこと)せず、寂静を一人楽しむのでもなく、衆生を済度するという大願を実現させるため、未来の果てに至るまで絶えず精進・修行をすることです。今日、われわれが歴史を振り返るのは、根本を忘れず、初心を固く守るためです。また経験から学び、続けて前進し、普賢菩薩の行願精神にのっとり、中日仏教の黄金の絆を伝承・発展させ、新時代の中日仏教交流の「友好の木」を大切に育て、共に中日仏教の明るい未来を切り開き、中日両国の代々の友好を実現するために、絶えず光とエネルギーを供給していきましょう。この場をお借りして、今後の中日仏教友好交流への三つの願いをお話させていただきたいと思います。

まず、中日仏教界が仏教事業の各分野において協力をいっそう強化することを期待しています。今後の中日仏教交流は各階層の人員の相互訪問を強化するだけでなく、內容豊富で多様な形式の交流会やワークショップなどを定期的に開催し、交流のプラットフォームや仕組みを継続的に改善してゆき、仏教の四摂法における「同事」精神を更に発揚し、弘法・教育・研究・慈善など幅広い分野で協力体制を整え、相互学習、互助互恵のなかで、ともに弘法・利生の事業を成しとげ、中日仏教交流をさらに確実に、より実質的な意義と建設的な効果をあげられるように推進し、両国の人々の福祉を増進するためにより多くの力を貢献してほしいと願っています。

次に、中日両国の青年仏教者の交流を一層強化するよう期待しています。そのための手段・方法などについて、われわれは日本仏教界と交流を深化し検討することを心より願っております。特に計画的で多形式・多層な交流を通じて、両国の青年仏教者に共同学習、共同修行、共同生活、共に弘法・利生の事業に従事する機会を提供し、相互理解とお互いの仏縁と友誼を深め、中日仏教交流の永続的な発展に推進力を提供するよう望んでいます。

最後に、中日仏教交流が引き続き積極的な役割を発揮するよう期待しています。中日両国の仏教は同じ法灯が継承されており、共通の信仰と追求を持ち、同じ経典と開祖を持ち、共に思慕する聖地があり、同じ精神世界と思想要諦を持ち、共に修道する友であり、法門の兄弟でもあります。精神信仰と法脈伝承という緊密な繋がり、そして仏教の平和無私の教義により、我々は自然と平和友好の使者となり、また、仏教も中日両国の人民の心を繋げる架け橋、文化の絆となっています。私たちはこれからも両国の人々の心をつなぎ、平和を守るために積極的な役割を果たし、国家間の平和共存と友好往来の如来の使者・平和の使者・文化の使者として、先達の仏教者に習い、中日の代々の友好の実現、北東アジアないしは世界の恒久的な平和と共同繁栄の実現のために、新たなる貢献を果たすことを期待しております。

三宝の慈悲の光の加護を祈り、「日宗懇」の事業がますます盛隆を極め、中日両国の友情が常に盛んで変わらぬことを心よりお祈りいたします。またご在席の先輩の皆さま、友人の皆さまのご健勝をお祈り申し上げます。

御清聴ありがとうございました!

「国連ウェーサーカ祭」の精神

尊敬する大会主席、ご出席の皆様

皆様がウェーサーカ祭ご滞在中、順調出来るようにお祈り申し上げます。 まず、ベトナム政府並びにベトナム仏教僧伽会の暖かいご招聘に心からお礼を申し上げます。「百花春城」と呼ばれるほどの美しい都市――ハノイで、中国仏教協会がみんなと一堂し、共に仏暦2552年の国連ウェーサーカ祭を祝い、「公正·民主·文明社会の建設に貢献する仏教」という重要な現実的意義を持つ、深遠たる歴史影響を与える大会のテーマについて一緒に討論でき、光栄に思います。  

ウェーサーカ祭は、古インド歴のウェーサーカ(インド暦第二の月)の満月の日を源とし、西暦五月の満月の日に当たり、南伝仏教の国々がお釈迦様の誕生・成道・入滅を記念する伝統的な祭日です。

1950年、スリランカコロンボで行われた世界仏教徒親睦会の第一回会議で、お釈迦様は紀元前623年で誕生、紀元前588年で成道、また紀元前543で涅槃したことを確定し、そして誕生・成道・涅槃の日もすべて五月の満月の日である意見が一致された。また三大仏事を同時に祝う祝日を「ウェーサーカ祭」と名づけ、またウェーサーカ祭を休日にするように各国の政府に請願したことで、大いなる釋迦様を記念します。1999年、第54回国連大会で、16国の代表によって署名された文書の中に、ウェーサーカ祭は国際的に認識されるべきという願望を伝えた。また、「お釈迦様の教えと彼の慈悲・平和・善良が世界中の人々を感動させ、世間無数の人がお釈迦様の教えに従い、ウェーサーカ祭でお釈迦様の誕生・成道・涅槃を記念する」と文書の中で指摘しました。同年、ギリシア、ノルウェー、トルコ、アメリカもその提案に賛成しました。1999年12月、国連大会でその提案が受け入れられて、ウェーサーカ祭を国連日(United Nations Day of Vesak,UNDV)として正式に確定されました。お釈迦様が自覚・覚他・実践も円満で、智慧の光が世界に照らしています。お釈迦様の慈悲平等の教義を発揚するため、世界平和を唱道するため、毎年全世界でウェーサーカ祭を祝うように呼びかけました。

中国では、チベット語系・バーリ語系の仏教徒も毎年五月の満月の日をお釈迦様の誕生・悟り・入滅の記念日にしています。仏教徒同士間の友情とつながりを強めるため、中国仏教協会の趙朴初会長は、「中国仏教界は毎年五月の満月の日のウェーサーカ祭を仏の吉祥日に指定しました。中国の漢伝仏教に属する各寺は旧暦の四月八日の伝統的な灌仏会の他に、皆この日でウェーサーカ祭を全世界の仏教徒と一緒に祝う」と提案しました。中国仏教協会は2004年から毎回タイで行われた「国連ウェーサーカ祭」に代表団を派遣しました。世界各国の仏教徒と一緒にお釈迦様の恩徳に感謝し、足跡を求め、追及していきます。国連ウェーサーカ祭が体現した仏教の慈悲や知恵を受け継ぎ、発展させ、発揚し、全世界に伝わっていきます。

2500年ほど前に、お釈迦様は菩提樹の下で満天の星を見て悟り、身を持って生命の円満自在と安楽―涅槃を証明しました。慈悲と偉大なお釈迦様は自分一人での法の喜びに浸さずに、そらからの何十年の歳月で、弛まぬ努力して仏法の知恵の種を播き、無数の衆生を疑いの縛りと生老病死の苦痛から解放させました。今日まで、世界各地に伝えられた仏法は、無尽の衆生に利益をもたらし続け、我われ仏教徒達に命の究極の関心を与えてくれました。

究極の安楽と解脱を得られるように、お釈迦様は弟子に出世の教えを与えただけではなく、家族にやさしく、社会に幸せ、世間に利益をもたらすことができる慈悲の心を持てるように、自らの言葉と行動で弟子たちに教えました。『善生経』の次のように述べました。世尊はある在家弟子に、どうように親子孝行する、どのように師匠を尊敬する、どのように妻に礼儀正しく対応する、どのように親族に尊重する、どのように侍にやさしくする、どのように沙門に供養する等のことを親切に教えたし、賭博、大酒を飲む等の悪習慣から遠ざけるように警告しました。また、『六趣輪廻経』に曰く、「若人以浄財、離慳広行施、得上妙飲食、所欲皆如意。若人建橋梁、及車乗等施、得最上安隠、珍宝之輦輿。若人于昿野、施池井泉流、于在所生所、無渇乏熱悩。」(もし、人は浄財で持って、吝嗇をやめ、大いにお布施すれば、上等な飲食を得られ、願い事も実現できるでしょう。もし、人は橋梁を建設し、車等の乗り物をお布施すれば、最高な宝物のような乗り物を得られます。もし、人は荒野で井戸をほれば、自分の生活するところでは乾燥な悩みはないだろう。)多様な形で仏弟子のお布施、社会奉仕の功徳を賛嘆しました。また、諸々の大乗経典には、菩薩がどのようにお布施、愛語、利他行、同事の四摂法で衆生、世間を摂授することを大いに唱えました。

世尊は徹底的な平和主義者、平和を唱道する使者であります。『長阿含・遊行経』の記載によると、摩竭陀国の阿阇世王は隣国の跋祗族に戦争を施すつもりだったが、雨势大臣を使者としてお釈迦様のところに派遣し、お釈迦様は機会で使者を説得して戦争を食い止めました。琉璃王は戦争を行って迦毗羅衛国を攻める時、世尊は舍夷树の下で落ち着いて坐っていて、その慈悲と畏れることない精神で琉璃王の狂気を抑止しました。「勝てば恨みの種を蒔き、負ければ身心が不安なり、勝負することを放下すれば、心身の平静の楽しさを知る」――平和を愛していて、戦争に反対するお釈迦様の聖なる教訓であります。

昨今、科学技術の著しい発展に連れ、人々の物質生活のレベルは高まりつつあるが、一方、戦争やテロリズム、貧富の差の激化、環境とエネルギーの危機、人間関係の緊張化などの問題にも直面しなければなりません。現代の仏教徒と仏教団体として、今まで以上にお釈迦様の慈悲、無我利他の精神を受け継ぎ、様ざまな社会問題に積極的に関心を寄せて、全人類の調和の取れた発展に相応しい貢献すべきです。

今回はじめてベトナムで行われた国連ウェーサーカ祭の国際仏教大会では、世界中各国の地域からやってきた高僧方々が一堂に会し、戦争の衝突、社会の公正、環境、家庭などの問題に重大な関心を寄せるという大会のテーマをめぐって、仏教が人類社会の様々でリアルな問題に対してどのような貢献をすべきかと検討すると同時に、仏教教育の発展方向等のテーマも取り上げます。今回の大会は全世界の仏教徒の世界平和への美しい願い、仏教が全人類の福祉に対する慈悲の心も体現され、それに、必ず国際的な仏教界の交流と発展に積極的かつ深遠たる影響をもたらすでしょう。ここで、中国仏教協会を代表し、心よりお祝いの意を御礼申し上げます。

2006年4月、中国浙江省の杭州市と舟山市で中国仏教協会と中華宗教交流協会が主催する「和諧世界、かり始まる」をテーマとする仏教フォーラムは開かれました。

2008年11月、中国仏教協会、中華宗教文化交流協会及び香港仏教連合会は江蘇省の無錫で第二回の仏教フォーラムが開きました。今回のフォーラムは「和諧世界、衆縁和合」をテーマにして、世界中の仏教徒に、お釈迦様の教えと慈悲知恵の精神を発揚し、人間と自然の「依正不二」(えしょうふに、自分と自分の周りを 取り巻く環境は、別のものではなく一体である)の共生する理念を唱え、積極的に行動するようと呼びかけています。国と国、民族と民族、「これ有れば彼れあり、これ生ずるが故に彼れ生ず」という縁起の理念のもと、お互い手を携え、平和の世界を創ると提唱しました。ここで、正式に皆様が「第二回世界仏教フォーラム」に出席してくださるようと招聘します。

最後に、改めてベトナム僧伽会のご厚意に心より感謝の意を申し上げます。

皆様のご健勝のことをお祈り申し上げます。

世界的な危機を解決する上で仏教が根本的な活路を見出す働きを持つ

2015年5月28日、第12回「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会はタイで盛大に開催され、中国仏教協会会長の学誠法師が今回の大会に出席し、重要なスピーチを発表しました。学誠法師はスピーチの中で以下のように話しました。

今回の大会のテーマは「仏教と世界的危機」です。そこで世界的な危機を仏教がどのように解消するか、その慈悲と知恵についてはっきり示しました。

また学誠法師はこう強調しました。「我執は世界的危機の根源であり、我執を認識し克服することが世界的な危機を解消し、世界平和と調和を実現する根本的な道である。仏教は将来的に全世界的な新文明の形態の形成に必ず積極的な働きをもたらし、世界的な危機を解決する上で根本的な活路を見出す働きがある。」と。

以下は学誠法師のスピーチ全文です。

まず、私は中国仏教代表団を代表し、第12回「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会が高い名声のあるマハチュラロンコーン大学で三日間開催されることに熱烈な祝賀の意を表します!今回の大会は、タイ王室政府とタイのサンガ委員会の多大なる支援を得て、マハチュラロンコーン大学主催により、世界中80あまりの国と地区から1,000人あまりの仏教代表者が参加しました。大会のテーマは「仏教と世界的危機」であり、仏教がどのように世界的な危機を解消するか、その慈悲と知恵についてはっきり示しました。

今日、全人類が共に直面している世界的危機により、人類はすでに緊密に繋がり1つの運命共同体になっております。もっと早くこの点を意識していれば、人類はお互いに更に協力し合うことで危機に向かい合うことができ、危機を深刻化せずにすみました。このような世界的危機には以下内容が含まれます。

1.長い間、人間が生存環境に対し無制限に行ってきた略奪的な採掘と無節制な廃棄物の放出による生態系の危機
2.資源不足と生存発展の必要性からの2つの圧力下で生まれた戦争の危機
3.物質的発展の過度の追及から陥った信仰の危機。

この世界三大危機の形成には深刻な歴史的根源があります。先ず地理的大発見、文芸復興、宗教改革による現代文明の序幕が開き、現代文明の根本的な二大特徴を形成しました。つまり人間の個性的解放と自由の強調、科学技術の発展と応用です。本来これらは現代文明が過去の文明より発達していることを示すものですが、個性的な解放と自由が、拘束を受けない個人と集団の欲望の膨張に一旦変わってしまうと、迅速に発展する科学技術力の力を得ながら世界的な災難を醸成し、人間自身をさらに一層苦しめる深淵に推しやってしまいます。まずは一つの地区、一つの国から起こり、それから世界的な自然環境の悪化を形成していきます。先ずは二つの国からおこり、それから多国間で、更に世界規模の戦争を形成していきます。これが最高の証しです。人間が追求し信奉してきたものが更に深刻な災難と苦痛をもたらしている時、更に深いレベルで信仰の危機が起こっているのです。

危機が発生する根源は、外側ではなく内側にあります。生態の危機が発生する根源は人間の内側にある貪欲さから、戦争の危機が発生する根源は人間の内側にある怨恨から、信仰の危機が発生する根源は人間の内側にある愚かさにあります。貪欲、怨恨、愚かさの総根源は人間の内側にある我執にあります。人間の内側にある我執とは現代文明の中に見られる人間中心主義、民族中心主義など様々な人間中心主義のことです。

人間中心主義とは、我執が人間全体の集団の中に広がることから起こる、人類自体が世界の中心であるという誤った認識を指します。つまり他の動物、植物ないし全ての生存環境は人類が生存するために意味があり、それら全ては人類のために奉仕するべきものなので、よって人類はこれらすべてを心置きなく享受できるという誤った認識のことです。

民族中心主義とは、我執が自己の所属する民族全体に広まり、自己が所属する民族が一番優秀かつ最も高等であり、他の民族はマイナーで下等な民族なので、それらは全て自分が所属する民族への奉仕の為に存在するという誤った認識のことです。

人類中心主義は、人類が自然から無節制に搾取する為の合理的な支柱となり、人間の貪欲さを助長しました。その結果、最も深刻な生態危機を招きました。民族中心主義は、他の民族を恣意的に侵略する合法的な支柱となり、人間の怨恨を助長しました。その結果、最も深刻な戦争危機を誘発しました。これらさまざまな中心主義が点検や認識を得られないまま、ますます深みにはまっている時、人間は自己を見失い環境や他人を傷つけながら、自分自身をも苦痛の深淵に追いやっているのです。

我執とは世界的危機の根源ですから、我執を認識し克服することが世界的危機を解消し、世界平和と調和を実現する根本的な道となります。これは非常に難しく長い道のりです。これを実現するために、お釈迦様は出家修行の道を選び遂に我執を克服することで無我の境地を得ました。そこから危機を解消する知恵と力を会得しました。悟られたお釈迦様は普通の生活にもどり、人々に熱心に教え諭す時、危機を解消する道を告げてくださいました。具体的に言うとそれは平等、尊重、慈悲、貢献でございます。お釈迦様が『金剛経』の中でこう説かれています。「法は平等で、上下に関係なし」と。これはつまり万事万物が平等であるという本質をはっきりと示しています。人類と環境の関係、民族と民族の関係、自己と他人の関係が平等であるという本質を認識すれば、様々な中心主義に対して効果的に対処できるようになります。相手を尊重する態度で人類が生存する為にある環境に向き合うことができ、相手を尊重する態度で他の民族と個人に対応できるようになります。それだけではなく、お釈迦様は人々に更にこう諭しました。慈悲の心をもって全ての衆生に向かい合い、自分が疲れを知らず奉仕することで生命の意義と価値を現し、生命の尊厳とその神聖さを成就することができると。お釈迦様は『大般若経』の中でこう説かれています。「悟りを求める衆生、偉大なる衆生は一切のものについて完全に知る心を発し、大いなる慈悲の心を一番上に置き、何も持たないことを手段とすべし。」と。

世界的危機を解消するには、人類全体が力を合わせ努力することに頼るだけではなく、人類全体が共に受け入れ、かつ人類全体を前進させる文化的価値観および宗教の信仰をリードする先達者が必要です。このような文化的価値観と宗教の信仰は、ある特定の文化と宗教だけが保持するものではなく、人類各々が持つ大なり小なりの文化と宗教に共通するものです。それはまたそれぞれの大きな文化や教派を超越するものでなければなりません。このような文化的価値と宗教の信仰とは、それぞれの大きな文化やそれぞれの宗教同士での深いレベルの対話に基づくことが必要であり、お互いの長所短所の相互補完していくことで、次第に形成されていきます。仏教は誕生した日から常に開放的、包容性を以て各種文化または各種宗教と対話し続け、それを通じて自覚的に自我を充実し自我を超越してきました。よって仏教は1つの文化と宗教の体系を構築する上で重要な役割を担うことができます。 

中国の仏教は、伝播と発展の過程で中国語系仏教、チベット語系仏教、パーリ語系仏教が形成されました。これらは全て自らそれぞれの役目を果たし、人類文明の変遷にも重要な役割を発揮してきました。過去の200年間において仏教は西洋社会に入り始め、西洋宗教および科学技術文明との対話を通じて、次第に西洋社会において積極的に深い影響を与えるようになりました。現代文明は全世界的な特徴を持ち合わせているので、将来の全世界的な新文明の形態を形成する上で、仏教が必ずや積極的な役割を発揮し、そして世界的な危機を解決する上で根本的な活路を見出せると私たちは信じております。

この十数年来、「国連ウエーサクの日祝祭」国際仏教大会が費やした勤勉な努力は、仏教を現代文明の体系に積極的に融合させ整える上で重要な貢献を果たしてきました!我々は今回の大会が大きな成功を収めることを心よりお祈りいたします。 ご清聴ありがとうございました!

以上

韓国仏教と中国天台宗との深い源

    以前、東アジアの三つの国(中国、韓国、日本)の人々は、中国から入ってきた仏教という黄金の絆で繋がられていた。その中で中国仏教の天台宗は黄金の絆の重要な一環となっていた。天台宗の実質的な開祖となる天台智者大師の円寂1400周年を記念するために、ここで、韓国仏教と中国天台宗との交流歴史を簡単に紹介する。
 
    韓国仏教は四世紀に中国から伝わったものである。当時、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済という三つの国に分かれていた。372年、中国姚前秦時代の苻坚は使節及び僧順道法師を派遣し、仏像と仏経を高麗に贈った。384年、インドの僧摩羅難陀は東晋から百済に赴き、仏教を伝えた。これからまもなく、新羅は高句麗から仏教を受け入れた。
 
    海東では天台思想と最も早く接触した新羅人は玄光法師だった。南朝の陳の時代に、彼は南岳衡山に行き、天台二祖の慧思について仏法を学び、智とともに南岳一派28名のエリートの一人となった。『法華経―安楽行品』に基づいて慧思に法華三昧の悟る方法を伝授されてから、懸命に勉強したお陰で、ようやく華三昧を悟った。慧思から認可をもらった後、指示に従って新羅に帰った。そして熊州翁山で寺を建て、法華三昧を悟る方法を伝授した。一時、門下の弟子が多くなった。
 
    その後、高句麗から来た般若法師も南朝の陳の時代の中国に行き、まず金陵で仏法を聞いたり解説したりしていた。589年、隋が南朝の陳を滅ぼしてから、金陵を離れた般若はいろいろなところで仏法を学んだ。596年、天台山に入り、智者大師を師として仏法を求めていた般若は、やがて悟りの境地にたどり着いた。その後、天台山の华顶峰に隠遁し、16年間で頭陀行を修めた。613年、山をおり、国清寺に行った般若は、まもなく国清寺にて円寂した。
 
    隋の時、中国に入って智者大師を師とした新羅僧侶の縁光法師がいた。彼は『法華経』に没頭し、多くのことについて悟りを得た。智者大師が円寂してからまもなく国に帰って、天台宗の基となる経典の『法華経』を主に解説し、法華の教義を広く伝えた。そして、毎日『法華経』を読経しつづけた。80歳の時円寂して火葬されると、なんとその舌が完全そのままだったと言われている。
 
    唐代天台宗八祖の左溪玄朗の時期に至ると、弟子の理应と纯英を連れて、中国に入った新羅の法融法師は、玄朗大師の下で学んでいたため、唐代天台宗を中興した祖师荆溪湛然尊者と同門になった。その後、三人は国に帰って、天台の教義を広く伝えた。
 
    唐代末年、「会昌の廃仏」のせいで、天台宗経典の典籍は大量に壊されたり、失ったりして、滅びる寸前だった。五代の吴越王钱弘俶は仏教に敬慕して、天台宗の名僧義寂の提案で朝鮮、日本に使者を派遣し、散逸した天台教典を訪ねた。961年、高句麗の国王に中国に派遣された僧谛观は、若干の論述と著述を螺溪义寂尊者のところに送り届けて、义寂のとなりに残して仏法を研究した。十年後(約969年)、天台山で涅槃に入った谛观は後の世まで伝わる有名な『天台四教仪』を著した。中国に天台教典を持ち帰ることは、天台宗が宋朝での復興にとって極めて大きな役割を果たした。五代の時、高句麗から晋の天福末年のころ中国に入った义通尊者は、まず德韶国師から仏法を受け、それから义寂の門下に加わって、一心三観の仏理を研究して、20年間も仏教を広く伝え、その名は遠くまで知られていた。义通は身につけた仏理をふるさとに持ち帰ると思っていたが、四明郡守钱惟治の厚意は断り難く、結局帰らなかった。开宝元年(968年)、弟子の誘いに応じて四明传教院で仏法を伝えた。端拱元年(988年)、ここで涅槃に入って、後世の人に天台宗第十六祖と尊ばれた。彼の弟子の四明知礼(天台第十七祖)と慈云遵式と共に宋朝初の天台宗を中興した高僧である。
 
    五代から宋まで、中国に来て天台教観を学ぶ海東僧侶は数多いので、わざわざ天台国清寺の前に悟空法師が新羅園を建て、彼らを留めなければならなくなった。
 
 宋の時、天台教義が高句麗で普及するにつれて、高句麗の大觉国師義天に至るまで天台宗を初めて創立した。義天は高句麗文宗王の第四王子で、11歳の時に出家して、内外の経典を研究した。1085年、弟子を連れて宋に入った28歳の義天法師は、宋哲宗の礼遇で、当時中国の高僧50人ほどあまねく面会して、仏法を議論した。杭州天竺寺の从谏尊者を師として天台教観研究し、天台山智者大師の塔を巡礼したことがあった。教義に従って、いつかふるさとに帰り、命を尽くしても仏法を広く伝えるという願をかけたこともあった。中国にいた十四月で各宗派の典籍を集め、経書千冊を国に持ち帰ったため、高句麗の宣宗王及び皇太後に大歓迎された。義天は力をこめて天台教義を広く伝えたため、天台宗は大いに盛んになった。義天は円寂した時わずか47歳であったが、その弟子が千人ほどいて、その中には有名な人がさらに160人もいた。天台宗だけでなく、韓国仏教全体にとって大きな影響を与えた。
 
 宋の末、圓妙了世国師は全罗南道江津万德寺で天台白蓮結社を建て、高句麗末期の仏教の一時の中興を促した。
 
 天台宗を含んでいる海東仏教は高句麗王朝が支配した471年間で大いに盛んになった。しかしながら、朝鮮李氏王朝には仏教を抑える政策が下された。その状況で、天台宗は禅宗と一つにまとめられた。それから、天台宗は仏教を抑える波に吸収されて、民間の深層の中のみで伝え続けられた。称賛に値するのは、ただ天台宗を研究し、『蓮経別賛』を著してある梅月堂の金时习(1435―1493)と「注:雪琴居士查无此人」、『禅学入門』を書き、天台止観がすなわち天台禅ということを論述した月窗居士金大铉(1855)と二人のみである。
 
 現代に至るまで、やっと立ち直った韓国天台宗が、いち早く発展した。1945年、上月圓覚法師は韩国忠清北道の丹阳郡の小白山の間で救仁寺を建った。1966年、天台宗に再建された救仁寺は、第二年で政府の登録を受けて、天台宗を成立した。上月圓覚法師は初代の宗正を就任した。1982年、韓国天台宗は金剛学院を創立し、金剛仏教大学も内設された。1985年月刊の『金剛』を創設した。
 
 現在、小白山の救仁寺はすでに韓国仏教天台宗の本部となって、支部の寺及び仏教団体などが350所で、信者が167万人に達している。
 
 韓国天台宗は宗団の三つの目標を打ち出した。一つは国を愛する仏教を建つこと。その内容は、福祉社会の建設を貢献するため、民族の中興事業に身を捧げることと、国民の道義を尽力して再建するため、社会を浄化する活動に熱心に参加することである。二つ目は仏教を生活化にするのを呼びかけること。その内容は、幸福を祈る仏教から幸福を享受する仏教まで、暇な仏教から生産する仏教まで、アイドルの仏教から実践の仏教までになるのを呼びかけることと、生活を実践することこそ、仏教を実践するという理想を打ち出すことである。三つ目は大衆の仏教を体現すること。その内容は、伽藍の仏教から民衆の仏教まで、家出の仏教から在家の仏教まで、厭世主義の仏教から救世主義の仏教までになることを呼びかけることである。
 
 韓国天台宗は我が国の仏教界との関係がとても良好である。1992年、韓国が中国と外交関係を結んで以来、韓国天台宗はよく訪中団を派遣して、我が国の天台祖庭を参詣しに来る。1995年、我が国と協力して天台山国清寺で中韓天台宗祖師記念堂を建った。記念堂の中に智者大師と韓国天台宗の大覚国師、上月祖師を祭っている。記念堂の落成式で韓国天台宗から300人あまり規模の代表団を派遣して参加した。1996年5月、国清寺が建ってから1400年と智者大師が円寂してから1400周年を記念するため、天台山国清寺は一年を繰り上げて法会を行った。韓国天台宗から200人あまりの人によって組まれた団体が参加して、日本天台宗も参加した。中韓日三国の天台宗信者は一堂に楽しく集い、大盛況であった。同年9月、中国仏教協会が主催する明旸法師を団長とする30人あまりの代表団は韓国を訪問して、韓国天台宗が主催するた智者大師が円寂してから1400周年を記念するための中韓日天台宗の法会に参加した。1997年4月、中国仏教協会に組織された刀述仁副会長を団長とする代表団は韓国天台宗の釜山三光寺の九層宝塔の落成式を参加して、中韓両国の仏教界の友情をさらに増進した。仏教事業の発展と共に、中国天台宗と韓国天台宗の間の交流は必ず日増しに頻繁になると信じている。
 

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