深層での文化交流の促進に仏教が果たす重要な役割

歴史の歯車は文明時代に入ってもう五千年ほどになります.このような長くまた短い人類文明史を振り返ると、人類三大文明の体系は今でも世界の発展メカニズムに深い影響を与えていると見ることができるでしょう.古代ギリシア——ローマ文化に基づく西洋文明体系、儒教——道教文化に基づく中華文明体系とバラモン教——仏教文化に基づくインド文明体系とが、世界三大文明体系と呼ばれています.その中で、インド文明体系はアジア大陸とヨーロッパ大陸の間に位置しており、またその文化には内包し融合する特徴があるので、中華文明と西洋文明が解け合うために重要な連結作用を発揮することができます.

まずは宗教の連結作用です.西アジアから発したキリスト教とイスラム教は、古代ギリシア——ローマ文化の特徴を吸収した後、西洋宗教の代表になりました.西洋宗教の決定的な特徴は一神教であることです.一神教の世界では、神はすべての宇宙および人類を創造しました.人類は神の制定した法律に従うときにだけ、自分の名誉、慰め、満足を見付けられます.にもかからず、人は神になれない、人と神の間で永遠に超えられないギャップが存在しています.また東アジアから発した儒教と道教は、儒家と道家文化の特徴を吸収した後、東洋宗教の代表となりました.西洋の一神教とは対照に、東洋宗教の決定的な特徴は無神教です.無神教の世界では、宇宙万物を創造して統治する神が存在せず、宇宙万物を生み出すことも運行することも、最も基本的な法則、つまり最高の「道」に従っています.人は身を修めることによって、道を悟った聖人となり、天地万物と合わさって一体となります.南アジアから発したバラモン教は、仏教とジャイナ教の教義を吸収して、しかもインド民間の信仰に基づいて、さらに今のインド教になっています.インド教には西洋宗教と通じ合うところもあるし、東洋宗教と同じところもあります.西洋宗教と通じ合うところは、インド教も世界および人類を創造した神が存在することを認めることであり、この神は「梵天」と呼ばれます.東洋宗教と同じところは、インド教でも宇宙の本体は「梵」と考えます.人は修行を通して、「梵我一如」というような境地を達成し、解脱することができます.仏教も「梵天」などの普通の人を超えた能力をもっている神の存在を認めており、そしてそのような受け入れられた神は、仏教の守護神になります.しかし、神は宇宙の創造者ではなく、神も宇宙の法則に支配されます.その一方、人間は修行を通じて神になれるだけでなく、宇宙の法則を洞察することで、神を超越する聖人になることができます.

次は哲学での紐帯作用です.西洋の哲学体系は、古代ギリシア——ローマの哲学に基づいて、知性的な理性の追求を強調し、次第に自然哲学と民主政治の二つの領域へと発展していきました.自然哲学は自然を理解することと、神様に接近すること強調します.民主政治は公平、公正な人類社会の樹立を望みます.東洋の哲学体系は、儒家——道家に基づいて、道徳的に直感的な認識を強調し、次第に修身哲学と論理政治の二つの領域へと発展していきました.修身の哲学は自分と大道を認識することを望みますが、論理の政治は安定、秩序がある人類社会の樹立を追求します.インド教——仏教の哲学はインド哲学体系を決定的に代表するものです.この哲学体系が、東洋と西洋の哲学体系の両方といくらかの共通の特徴を持っていることは容易に分かると思います.インド哲学が持っている論争の精神は、西洋哲学より勝るとも劣りませんが、さらに百家争鳴のようなさまざまな哲学流派になりました.インド哲学は認識の特徴の方を偏重しており、中国哲学とは異曲同工であるように感じられます.そのためにインドでも中国でも、仏門に入って修行するのはありふれたことではなく、人を尊敬させる一つの生活様式です.

総じて、東洋と西洋の文化は自身を生み出した地域の文化背景の相違によって著しい差異を現わしてきました.それを両方の文化に融合することは困難でした.一番典型的な例として、西洋のキリスト教が中国に伝わってくる際のその過程の辛苦に過ぎるものはありません.

実は、唐の時代からキリスト教が中国に現れましたが、わが国の信仰する物とは大きいな差異がありましたので、社会の主流に融合することはなかなかできませんでした.いまだに人達はまだそれを西洋教と見なすことに慣れています.また、前世紀の始まりに、新文化運動が起こるに伴って科学と民主は西洋文化の主要な内容として中国に進出してきました.それからほぼ百年も経ちましたが、表面的には科学技術は中国の地で応用されるようになり、あちらこちらで出現したり普及し発展したりし、先進的な生産力が社会を前進させましたが、それはまだ工程と技術の段階に限ったものでした.

真の科学精神と基礎理論への探究では、中国と西洋にはまだ大きな差異があります.その次にくるのは、民主的な考えです.実践を通じて証明されたのは、西洋の民主的なモデルが中国の現実社会には適合できなかったことです.国情や文化特徴の独特さのために、中国には西洋の民主政治をそのまま用いることはできないと決しましたから、自分の特徴に相応しい社会制度に辿り着かなければなりません.しかし法治の意識を培養するのは一刻を争う時代の要求であります.歴史や現状がはっきりと示しているのは、中国の文化と西洋の文化がもっと深く融合するのが歴史の必然であることである以上、それは時代の要求でもあります.

五千年余り以上の人類の文化史を振り返る時、ある大事件が名も実も歴史に残すに至りました.それはインドに生み出された仏教です.約二千年前に中華に伝わってきて中国の社会に大成功裡に融合し、その名に恥じず、中華文化の三つの主流の一部になりました.それだけでなく、千年以上を経た昔、中華文化を始点にして仏教はさらに日本、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシアなど、東アジアおよび東南アジアの諸国にまで進出しました、そのために、仏教は名実相適った世界宗教になりました.その価値の通りに、前世紀の初め、仏教は勢い盛んな生命力と独特な適応の能力のお陰で、欧米などの西洋の諸国に広がって伝えられました.ますます多くの西洋人達がこれを好み、イギリスの名高い歴史家であるトインビー博士は「二十世紀に人類が迎えた最も大きな事件の一つは、仏教を西洋に伝えた事だ」と考えていました.その事件が重要だと言われた理由は、それが、中華文化と西洋文化が深く融合する現実的な可能性を提供していたからです.

実のところ、もうそれはある単なる可能性だけにとどまらず、既に現実になっている、あるいは現実になりました.みなさんご存じの通り、仏教は紀元前の6世紀にインドに生み出され、バラモン教をもう散り散りにしてしまいました.仏教は勢い盛んな数百年の後、かえって8世紀にインド教(新たなバラモン教と言うべきもの)が現れて盛んになったときには新鮮な血液を輸入して、インドの文化を再生させて延長させました.その間、仏教はスリランカ、ミャンマー、カンボジアなどの南アジア諸国に伝わり、そしてその本国の主要文化の形になりました.西暦元年ぐらいの時、仏教は中国に伝わってきて、その後の五、六百年の間に、仏教は中国本国の文化と十分に結びつき、融けあって、結局唐代には仏教文化だけがあるほど盛んになりました.仏教文化が繁栄すると、かえって中国本国の文化が新たになるのを促進しました.具体的に言えば、儒教文化の理論的な含意を充実させたのです.それは、未来の中国の主流社会に影響する宋代、明代の理学になりました.同時に、道教を外丹学から内丹学へと変化させました.紀元6世紀仏教が日本に伝わり、同じように、紀元7世紀わが国のチベットに伝わってきたようです.仏教は日本の神道信仰と結合して、明らかに違った特徴がある日本仏教になり、チベットのボン教と結合して、独特な特徴を有するチベット仏教になりました.仏教が東アジアに伝わってきたのに伴って、印中文化と日中文化の間の交流も非常に速い進展を要しました.仏教は違う国と違う民族とを繋ぐ友情の橋になりました.

異なる文化の間であっても、ともに原因を見つける限り融合の可能性に向かって歩くことができます.仏教は一貫して個人の命を高めることと覚悟することを重視し、および団体生活の結構と秩序にまで至ります.

中華文化と融合してから、二つ特質の両方ともはっきりと積極的な作用を発揮しました.この百年以来、西洋文化が全面的に東洋社会に浸透したことに伴って、仏教の方もひっそりと西洋社会に入り込んでいきました.中華文化に適応するときの特徴と異なり、仏教は表の物質の世界を認識するときに深い洞察力を現し、公平で公正な理想社会を築くため、民主制度を高く重視しました.それを西洋社会に適応させる時、文化には妨げが存在しないのみならず、更にそれが完璧に融合できる精神的な特質を現しました.

実のところ、仏教はいま、勢い盛んな生命力で、欧米などの西洋の諸国に根を張っており、本国のキリスト教の文化と対話する中で、新たな融合に向かって歩んでいます.東洋と西洋の文化が深層で交流するのを促進する中、仏教がますます重要な役割を発揮することが予想されます.

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